荒廃した神社の再建 星田神社 星田妙見宮


情報誌「寺社Now」創刊号より

仕事を辞め、数十年がかりで再建に取り組んだ宮司の軌跡
七夕伝説の里で荒廃した神社復興

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七夕伝説の里、大阪府交野市で、星にちなんだ祭りで知られる星田神社は、1996年に新しい宮司、佐々木久裕さん(62)を迎えるまで荒れ放題の社だった。佐々木さんは、氏子らの協力を得て傷みが激しい境内を修繕し、途絶えていた祭りを復活させた。今、星田神社は、朝はラジオ体操の会場に、昼は子どもたちの遊び場となり、初詣には朝から夕方まで「1時間待っても拝めない」という長い行列ができるほど、地域で愛される存在となっている。

佐々木さんと星田神社の出合いは、40年以上前にさかのぼる。実家で江戸時代~明治時代の先祖が書いた古文書を偶然、発見した。古文書からは交野の妙見山にある星田妙見宮の神様、妙見様を信仰していたことが分かった。星田妙見宮は山のふもとにある星田神社の境外社で、平安時代、弘法大師が交野に来て秘法を唱えると天上から星が降ってきたことから信仰の対象となった地である。佐々木さんは興味が湧いて星田神社と星田妙見宮に足を運んだのだが、そこで、想像もしていなかった悲惨な姿に出迎えられた。いずれもうっそうと木が生い茂り、草はぼうぼう、塀は傾き、ほこりまみれの社にはクモの巣が張っていた。「滝はゴミと土砂に埋まって水も枯れ果て、まさに打ち捨てられた状態でした」と佐々木さんは振り返る。しばらく境内に座って考え込み、「これでは神様に申し訳がない。神社を復興させよう」と決意する。

 

「手作りの鳥居です」と話す佐々木宮司

「手作りの鳥居です」と話す佐々木宮司

当時の宮司は高齢で、修繕しようにも神社の運営資金もなく、困っている状態だった。当時、佐々木さんは、オフィス用コンピューターのシステム設計と販売を自営で手掛けていた。仕事が終わった後、懐中電灯と大工道具を持って神社に現れ、こつこつと自力で社の修繕を始めた。山中にある星田妙見宮は街灯もなく真っ暗闇で、タヌキが道案内してくれたという。仕事と神社の修繕という二足のわらじを履いて2年ほどした頃、「本気で取り組まなければ神社の復興はできない」と思うに至った。妻に「半年ほど収入がなくなってもいいか?」と聞くと、妻は「お父さんは言い出したらきかないから」と苦笑した。

 

妙見山の山頂にある星田妙見宮の拝殿

妙見山の山頂にある星田妙見宮の拝殿

きっぱり仕事を辞めてからは、笛と篳篥を習い、各地の神社で祭りの手伝いや演奏をして日銭を稼ぐ「きちきちの生活」(佐々木さん談)を続けながら、神職の資格を取るべく猛勉強。神社本庁の試験を受けて、徐々に階位を上げていった。境内の立て直しは掃除と修繕に明け暮れたが、神社の会計に貯蓄はなく費用は自分の持ち出し。こんな「下積み生活」をして13年経った時、80歳を過ぎていた宮司が引退し、佐々木さんがその座を引き継ぐことになる。佐々木さんの地道な努力をずっと見てきた氏子らは「後任は佐々木さんしかいない」と歓迎してくれた。

 

社の再建とともに途絶えていた祭りも復活

宮司になった佐々木さんは、長年、温めてきた構想の実現に乗り出す。忘れ去られていた祭りの復活である。宮司になった翌年、年の初めに1年の幸せを願う「妙見宮星祭を70年ぶりに催し、夏はこれまた何十年も途絶えていた「七夕祭」を実施。夜店の並ぶカラオケ大会になっていた「星降り祭」は、神楽奉納や祈祷などを行い、星の降臨伝説にちなむ祭りに衣替えした。祭りの復活には、佐々木さんの熱意に打たれた氏子らも全面協力。こうした活動を通じ、星田神社を宮司と氏子の「手作り」で再建する流れが出来上がった。境内の鳥居、絵馬掛け、提灯棚などは、「私と氏子総代らが作ったんですよ」と佐々木さん。星田妙見宮は山頂の拝殿のすぐ側まで、地元の人たちによって参道はいつも掃除が行き届き、LEDを使った街灯も「手作り」だという。2年後に創建1200年を迎える星田妙見宮。今から奉賛歌を作ったり、楽しく準備が進んでいる。

 

星田妙見宮からの眺望。晴れた日は瀬戸大橋まで見渡せる。

星田妙見宮からの眺望。晴れた日は瀬戸大橋まで見渡せる。

星田神社
大阪府交野市星田2丁目5-14

星田妙見宮
同市星田9丁目60-1

2014-12-05 | Category ニュース

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