【 風まかせ13 】桃ちゃん!「話せばわかる」 野田博明


松田翔太や有村架純が桃ちゃんや、かぐちゃんを演じる携帯電話会社のCMが面白い。大人たちには懐かしいお伽噺の主人公たちが交わす他愛ないやりとりがなんとも滑稽で微笑ましい。
そのCM、もちろん子供たちにも大人気なのだが、NHKは今年、この主人公たちの定番の昔話をEテレで放映するという。
そこで、今回は童心に戻り桃太郎にまつわるお話しでもしてみようと思う。桃太郎はオラが村のヒーローだと唱える場所が全国にいくつかある。
 

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岡山県東口に立つ桃太郎像(女木島を望む)

 そのなかでつとに有名な処が、大昔、吉備の国と呼ばれた岡山県である。きび団子といえば誰もが岡山のお土産を思い浮かべる。桃の収穫量だって日本一と、それは思い込みで実際は6位なのだそうだが、ず~っと時代はさかのぼって恐縮だが、弥生時代には日本一であった。
吉備国の遺跡から国内で最多の9606個ものコダイモモの種が出土しているのだから。そんなこんなでJRの岡山駅前広場にはりっぱな桃太郎の銅像が立っている。
 

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吉備の中山、左が龍王山、右が茶臼山

 その桃太郎の伝誦を色濃く残すのが吉備津神社と吉備津彦神社である。岡山市の西端に「吉備の中山」という小高い山がある。その西麓に吉備津神社、東麓に吉備津彦神社がわずか1キロメートルほどの近さで鎮座している。
 両社の創建時期は不詳であるが、式内社である備中国一之宮の吉備津神社はそもそも吉備国の総鎮守であった古社である。一方、吉備津彦神社は吉備国が備前、備中、備後に分割された際に備前国一之宮とされるが、平安時代には備前第一の大社であるとの記録もあり、両社ともに古より民の崇敬を集めてていたことは確かである。
 

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吉備津神社・比翼入母屋造り本殿

両社のご祭神・大吉備津彦命(オオキビツヒコノミコト)(旧名は五十狭芹彦命(イサセリヒコノミコト))は第7代孝霊天皇の皇子で、崇神天皇の御代に地方平定を果たした四道将軍の一人である。この命(ミコト)こそが桃太郎というのである。
その時の吉備国の王は百済から飛行してきた温羅(ウラ)という王子であった。吉備冠者と呼ばれた温羅と五十狭芹彦命の戦いが、「備中吉備津宮縁起」や「吉備津彦神社縁起写」に詳しく語られており、それが桃太郎伝説の下敷きになっているというわけである。
 

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吉備津彦神社 手前から祭文殿・渡殿・本殿

 身の丈2メートルを超える温羅は、真っ赤な鬚髪(シュハツ)は蓬々とし両眼は虎狼の如く、まさに鬼神の相であった。当時は吉備の穴海に浮かぶ島であった鬼城山(キノジョウサン)に築いた鬼ノ城(キノジョウ)に籠り、西国から都へ向かう年貢船や往来する婦女子を襲うなど暴虐の限りを尽くし民から恐れられていた。
そこで、武勇の誉れ高い五十狭芹彦命が遣わされ、吉備の中山に陣を構え熾烈な戦いを挑んだ。温羅は雉や鯉に変化(ヘンゲ)し、命も負けじと鷹や鵜に化け、大空を滑空、水中で格闘するなど妖怪大戦争も顔負けの死闘を演じる。
その結果、ついに温羅は敗れ、吉備の冠者の尊称を命に献じ、命は「吉備津彦命」と改名した。
 

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敷石と鬼の城西門を望む

 ところが、討ち取られた温羅の首は往生せずに髑髏(ドクロ)となっても何年間も吠え続ける。陣所の吉備津宮(現在の吉備津神社)の御釜殿の地下深くに埋めてもなお鳴りやまぬ。そのうち温羅が命の夢枕に立ち、「妻の阿曽媛に御饌(ミケ)を炊かせよ。さすれば悪行の償いに釜を唸らせ世の吉凶を占おう」と告げる。
それに従うやようやく唸り声は止んだという。これが鳴釜神事の起りであると縁起は綴る。この伝誦は室町時代の「備中国吉備津宮勧進帳」にも詳しく記され、当時、温羅伝説が巷間に知れ渡っていたことがわかる。
そして、御釜殿では今日も阿曽女(アゾメ)と呼ばれる巫女が御饌の世話をし続けており、他にも当社が鬼みそぎや花祭、おなご祭といった温羅にまつわる神事に覆いつくされているのも不思議である。

そうした奇譚がお伽噺となるのだが、桃太郎はもちろん吉備津彦命。鬼は温羅、従者のイヌが犬飼武(イヌカイタケル)として伝誦のなかで活き活きと息づいている。しかも、その登場人物は今も神として祀られ、多くの人々の尊崇を集めている。
吉備津神社の本殿内の外陣の四隅に各々御崎(オンザキ)神社が鎮座する。その一つが丑寅(ウシトラ)の方位に位置する艮御崎(ウシトラオンザキ)神社で、祭神は温羅とその弟・王丹(オニ)だという。

神となった桃太郎を祀る本殿の内に、成敗した鬼とその一党が祀られているのは異様である。一方で、東南隅の巽御(タツミ)崎神社の祭神は知恵袋のサルこと楽楽森彦命(ササモリヒコノミコト)と勇者のキジ・留玉臣(トメタマノオミ)である。それは真横から温羅を監視しているのだろうか、なぜこうした様式となったのか縁起に謎解きは一切ない。
 

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犬養毅銅像

ところで、忠義者の犬飼武命はどこへいってしまったのか本殿内に姿はない。同神社の名所である長い廻廊の突端に建つ南随神門に鎮座し、悪しき闖入者(チンニュウシャ)に今も警戒の目を光らせていたのである。
そして、お伽噺と云いながら、犬飼武の末裔は実在し、久しく吉備の国で桃太郎を祀り、賀陽(カヤ)郡の大庄屋をつとめ、犬養部(イヌカイベ)の宗家であるとの伝承を伝えている。

五・一五事件で青年将校の凶弾に倒れた犬養毅(イヌカイツヨシ)首相がその出自であった。日本一の旗を背負った桃太郎の家来が昭和の世に総理大臣となり、「話せばわかる」とこの国に身命を奉げた。その犬養毅の銅像が南随神門近くの御手洗池の傍らに空高く聳え立ち、今も桃太郎の御霊を見守っている。

一方で、「吉備津彦神社縁起写」に伝わる桃太郎伝説はかなり趣を異にしている。温羅は異邦人として朝廷から征伐されたが、吉備津彦に宝物の鉄製品を献上し臣従を誓うことで助命され、吉備国の支配を任されたとある。
その故にか、吉備の中山の鬼門の地に犬養毅揮毫の注連柱を擁する艮御崎神社が別途、手厚く祀られている。

そして、温羅の和魂(ニギタマ)を祀った温羅神社が吉備津彦神社境内にも静かに鎮座している。こうした両社の伝誦や祀り方の相違に、わたしは塗り込められた歴史の正体を感じざるをえない。
実のところの温羅は製鉄など先進技術を吉備国に伝え、民に慕われた支配者であったのではないか、征服者を正当化するために鬼が作り出された、温羅はその象徴であったと云ったほうが胸にストンと落ちる大人が読むべき桃太郎のお伽噺である。
 

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大吉備津彦命の墓

  吉備の中山の頂上には大吉備津彦命を祀る前方後円墳がある。その御陵の裾に温羅を祭神とする波津登玖(ハットク)神社(現在は八徳寺)がぽつんと建っている。
その風情は吉備津彦を地中からお守りしているようでもあり、はたまた、古墳の主は吉備の王であった私なのだと崖下から吠えているようでもある。
 

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山腹の平坦地に波津登玖神社(現在は八徳寺)右斜め上が御陵

 平安末期、今様歌謡を好んだ後白河法皇により撰された「梁塵秘抄(リョウジンヒショウ)」に、「一品聖霊(イッポンショウリョウ)吉備津宮・・・艮御崎(ウシトラミサキ)は恐ろしや」という当時の流行歌が収録されている。

怨霊とは冤罪によって非業の最後をとげた魂が成仏できずに祟りをなすというものである。
この歌は中世の庶民にも温羅が吉備の英雄であった、文明を開化させた王であったと語り継がれていたことの証でもある。

過去のNHK大河・「平清盛」で後白河法皇の若き時代を演じたのが松田翔太である。今様の携帯電話CMで桃太郎を演じるイケメン俳優は艮御崎との宿縁を知ってか知らずか、これはこれで呆けたこの時世には似合いのお伽噺ではある。
 
 
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情報誌・寺社Now vol.13「風まかせ~」より

2017-03-07 | Category コラム

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