【特別対談・前編】德川家広氏×四天王寺 鼎談(ていだん)


各界の著名人の方と寺社の方をお招きし広い視野で寺社の活性化について語り合う特別対談企画。

今回は、德川記念財団理事で著述家の德川家広氏と、2022年に「聖徳太子千四百年御聖忌」を迎える四天王寺執事の山岡武明氏と同寺総務部参詣課信徒係主任の瀧藤康教氏との対談が実現しました。
仏教を中心とした徳川家と四天王寺の関係性や、現代の日本社会における宗教者の役割などについて語り合っていただきました。
 
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左:山岡武明(やまおかぶみょう/和宗総本山四天王寺 執事)
中央:德川家広(とくがわいえひろ/公益財団法人德川記念財団 理事)
右:瀧藤康教(たきとうこうきょう/和宗総本山四天王寺 総務部参詣課信徒係主任)

 

仏教を国造りの礎とした聖徳太子と江戸幕府

司会: 江戸時代、徳川家は世界に類を見ない長期安定政権を実現し、現代日本の礎を築かれました。
また、四天王寺は聖徳太子による創建以来、仏教の教えの精髄を脈々と継承しておられます。まず、徳川家と四天王寺の関係について、お話をお聞かせください。

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德川家広(以下、德川): 徳川家はもともと仏教信仰が非常に篤い家で、三河の山村にやって来た漂泊の僧が、土地の豪族である松平家の娘婿になったのが起源といわれています。その後、松平一門からは浄土宗の高僧も出ていますし、家康公の旗印も、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど) 」と書かれた大変仏教色の強いものでした。
また、江戸幕府は社寺法度を作って、仏教各派の本山や各地の大社と協約を交わし、それぞれが幕府と同格の重みを持っていることを認めています。このため、江戸時代に入ると、室町・戦国時代のように「宗教が原因で揉める」ということはなくなりました。江戸幕府は仏教を優遇し、その政治哲学にも、仏教の慈悲の精神が色濃く反映されています。その意味で、仏教による国造りを目指した聖徳太子ゆかりの四天王寺とは浅からぬご縁があると感じております。

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山岡武明(以下、山岡): 四天王寺も建立以来1400年間続いていますが、度重なる災害や戦争によって倒壊や焼失を繰り返しました。今、重要文化財に指定されている建物のほとんどは、徳川二代将軍秀忠公の時代に建てられたものです。四天王寺だけでなく、戦乱で荒廃した大阪中の神社仏閣が、徳川家からの寄進によって建て直されたと伺っています。
 今回、家広さんにぜひお伺いしたいのは、徳川家の実像を世の中に伝えるために、どのような努力をされているかということです。我々は四天王寺の僧侶として、聖徳太子の教えをお伝えしようと日々がんばっているのですが、今は情報化社会ですから、よくも悪くも聖徳太子についての情報が氾濫しています。それに比べれば、僕らが発信する情報量などたかが知れている。「伝える」という活動がやりにくくなっているのが本音です。
 我々は、聖徳太子の歴史を後世に伝える使命を負っている。それは徳川家にも共通するところがあり、家広さんにも、人生を賭けて伝えたい徳川の姿、知られざる徳川の姿、というものがあると思うのです。それを伝えるために、どのような活動をされているのでしょうか。

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德川: 今年中に、少なくとも2冊は本を書く予定です。1つは関ヶ原の戦いについて、もう1つは明治維新以降の徳川家の歴史についての本です。両方ともいわば「消された歴史」であり、特に関ヶ原に関しては、巷間伝わっていることが、実際の意味合いとはかけ離れているように思えることも多い。
 それは、徳川家の歴史についても同様で、江戸時代と明治以降の見方については大変な誤解がある。たとえば、「江戸時代には平和が長く続いた。戦国時代を勝ち抜いたチャンピオンが決まったから平和になったのだ」という、猿山のボスの権力争いのような解釈がまかり通っているわけです。しかし実際には、江戸時代にも戦争を望む世論はあった。江戸幕府はそれを抑え込みながら、綱渡りのような平和を維持していたわけです。

瀧藤康教(以下、瀧藤): やはり、小説やドラマで流布されている通説には、事実とちがうものも多いのでしょうね。

德川: 時代劇や落語の中の「江戸時代」は、ご隠居や熊さん八っつぁんのような「いい人ばかり」のハッピーな世界です。しかし、実際には当時の日本も、今の日本とあまり変わらない社会でした。江戸時代はエデンの園のように平和だったが、ペリー来航で西洋の近代文明に目覚め、明治維新で近代国家の仲間入りをした――というのが通説ですが、明治維新というのはむしろ、豊臣時代への先祖返りなんですね。
 1615(元和元)年は「元和偃武(げんなえんぶ)」と申しまして、徳川家が豊臣家を滅ぼして
諸法度を定め、「これで日本を平和にします」と公約をした年です。当時の日本は、秀吉の二度の朝鮮出兵によって疲弊し、いつまた戦乱の世に逆戻りするかわからない状態でした。そこで、江戸幕府は諸法度を次々に発布して社会を安定させ、国民が安心して暮らせるようにしたわけです。戦国時代に出現した「好戦的な日本」を、徳川幕府は必死に抑え込んでいた。ところが、明治維新以降、日本は「戦争が好きな国」に先祖返りしてしまいます。その結果、日本は戦争でボロボロになり、終戦を迎えた。この時、帝国議会で日本国憲法を採択したのが、最後の貴族院議長を務めた私の曽祖父です。つまり、今の憲法は、徳川時代以降の日本史の伝統を踏まえているわけです。

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山岡: 日本人は今も昔もそれほど変わっていない、という点にはとても共感しますね。聖徳太子が定めた十七条憲法をよく読んでみると、とても面白いことが書いてあります。「上の者は下の者の面倒をきちんとみなさい」「他人の悪口を言わないようにしなさい」「出張中の同僚の仕事ぐらい、の職員もわかるようにしておきなさい」など、今読んでも的を射たことが書かれているんですね。聖徳太子の時代も、豪族たちが好き勝手をして秩序が乱れた時代です。若くして摂政となった聖徳太子は、外国の書に学んで法律を作り、平和な日本の礎を築こうとされた。その意味では、江戸幕府に大変近いものがあります。

瀧藤: 聖徳太子は四天王寺の建立にあたって、「敬田院(きょうでんいん)」「施薬院(せやくいん)」「療病院(りょうびょういん)」「悲田院(ひでんいん)」からなる「四箇院(しかいん)」というのを作ったんですね。今の学校にあたる敬田院で教育を行い、施薬院や療病院でけが人や病人の治療に力を注ぎ、老人や身寄りのない方を養う悲田院も作っています。この聖徳太子の遺志を引き継ぎ、四天王寺では今も「悲田院」という名の社会福祉施設を21件ほど運営しています。学校法人、医療法人、福祉法人が三位一体となって、四箇院を作った聖徳太子の精神を引き継いでいるわけです。

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山岡: なぜ、聖徳太子が四箇院を作ったかというと、仏教のお慈悲を礎とした国造りをするためなんですね。仏像を安置して「拝みなさい。ご利益がありますよ」というだけでは、人々に信用してもらうことはできない。そこで、まず四箇院を作り、人々が切実に求めていたものを提供したわけです。口先だけの人間には誰もついて来ない。まずは人々の悩みを解決することが先決だった。四箇院を体験してもらえば、「これが仏教のお慈悲というものなのか。聖徳太子はそれを実践されているんだな」ということがリアルに伝わります。お慈悲の勉強会を開いても、お慈悲とは何かを理解することはできない。それはいつの時代も同じで、本や師匠から仏教の教えを学ぶことはできても、その教えをちゃんと実践できているかと問われると、後ろめたい気持ちになることもあります。
 被災地の復興支援や社会貢献活動をしている若い僧侶は少なくないのですが、売名行為になってもいけないので、なかなか人目に触れる機会がない。一方で、一部の宗教者の悪行がニュースになると、そういう面だけが目立ってしまう。それが悩ましいところです。

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德川: 戦後日本はなんだかんだ言っても、国民の面倒をよく見る国だったんですね。教会もお坊さんもいらないような国だったのが、平成に入ってガタガタになってしまった。私は、今こそ伝統宗教の力と蓄積が必要になってきていると思うのです。戦後の高度成長も終わって格差が広がり、未来に希望を持てない人が増えている。その意味では、聖徳太子が活躍なさった時代に近づいているのかもしれない。四天王寺さんは、聖徳太子以来の蓄積があるわけですから、街に出て若い人たちと話をすれば、とても響くものがあると思います。

瀧藤: 僕らが先陣を切って、出会った人たちに話をしていく。それが、遠回りなように見えて実は一番の近道なのかもしれない、ということでしょうか。

德川: そうです。ただ、お話をなさる以上に、「人の話を聞く」ことが大事だと思います。というのも、今は、誰にも話を聞いてもらえない人が多いんですね。10人の話を聞けば、人間の悩みは古代から全く変わっていない、ということに気づかれると思います。
 国の制度がガタガタと変わっていく中で、お寺さんの仕事は大変重要になりつつあります。10年後には、「人生は修行だ」と思わなければ耐えられないほど大変な時代が来る。世の中の混乱に対応できるだけの深みを持ち、何がしかの答えを出せるのは、日本においては仏教だけなんです。
 仏教のもうひとつの強みは「国際性」です。近年、アジア諸国は急速な経済成長を遂げていますが、日本とは仏教という共通項で結ばれた国も多い。海外向けに「日本とはどういう国か」を説明する上で、仏教が果たすべき役割は大きいと思いますね。

山岡: 四天王寺には、海外からの観光客もたくさん来られます。とりあえず、英語で礼儀作法や御堂などを解説する説明版は作ったのですが、外国の方にも日本の文化とお寺を体感してもらえるような工夫ができないか、と考えているところです。

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德川: 英語版だけでなく、中国語版や韓国語版もあるといいですね。聖徳太子のような傑出した哲人政治家は、人類史上を見渡しても100人はいないと思います。そういう人が古代の日本にいた、ということを伝えるだけでも感動があるのではないでしょうか。

後編へ続く

<プロフィール>   德川 家広(德川記念財団理事)
1965(昭和40)年2月7日生まれ。父・德川恒孝(德川宗家18代当主、元日本郵船副社長、德川記念財団理事長)の仕事の関係で、小学校1年から5年までをアメリカで過ごす。学習院高等科を経て、慶応義塾大学経済学部に進学。卒業後、米ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得。国連食糧農業機関FAOローマ本部、ハノイ支部で勤務後、コロンビア大学で政治学修士号取得。その後、フリーの翻訳家、著述家に。

山岡 武明
役職:和宗総本山四天王寺 執事・総務部参詣課 課長。勝鬘院 愛染堂 住職。和宗仏教青年連盟 代表。全日本仏教青年会 副理事。
職歴:和宗総本山四天王寺

瀧藤 康教
役職:和宗総本山四天王寺総務部参詣課信徒係 主任。光徳山瑞雲寺真光院 副住職。和宗仏教青年連盟 理事。職歴:学校法人四天王寺学園。四天王寺福祉事業団 社会福祉研修センター。和宗総本山四天王寺

公益財団法人 德川記念財団

德川記念財団は、德川宗家(将軍家・公爵家)に伝来した歴史的・美術的・学術的重要品を広く学術研究ならびに社会教育上の公益に供し、日本近世並びに近代の研究の発展に寄与することを目的として、2003(平成15)年4月に德川宗家18代当主德川恒孝が設立し、2011(平成23)年4月に公益財団法人に認定された。主な事業は下記の通り。
 1. 德川宗家伝来資料の保存管理修復・関連資料収集。
 2. 久能山東照宮博物館・日光山輪王寺宝物殿における常設展示(自主企画)。
   全国各地での関連展覧会の共催。他館への特別協力や出品協力などの展示活動。
   図録の編集・刊行など。
 3. 所蔵資料の調査・研究、研究機関との共同調査・研究。
 4. 日本近世史研究の業績への表彰や奨励を目的とした
   「德川賞」「德川奨励賞」を選定、授与。
 5. 古文書講座の開催、児童・生徒を対象とした作文コンクールの実施、
   歴史講座等への講師派遣、年2回の会報発行など。
当財団の事業活動は賛助会員の皆様からのご支援によって支えられております。さらなる歴史・文化の継承には皆様からのご支援が必要です。ご検討いただければ幸いです。賛助会員・ご寄附のお申込み方法など詳細は下記までお問い合わせください。

〒151-0064 東京都渋谷区上原2-35-5-203
TEL:03-5790-1110/2620
http://www.tokugawa.ne.jp  jimukyoku@tokugawa.ne.jp

和宗総本山 四天王寺

四天王寺は今から1400年以上前、593(推古天皇元)年に建立された。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立したと伝えている。2022年には聖徳太子の没後1400年にあたる「御聖忌(ごせいき)」を迎える。四天王寺では「御聖忌」を迎えるにあたって中心伽藍の改修工事を始め、聖霊院の増改築や、建造物・境内一円の改修・整備が行われていて、またこれを善きご縁として多くの人々に四天王寺を身近に感じていただき、太子のご遺徳を後世に伝えることを目的とした奉賛会が結成されている。

〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1 丁目11 番18 号
TEL:06-6771-0066
http://www.shitennoji.or.jp/

情報誌・寺社Now vol.14 特別対談企画より
司会・構成 : 吉田 燿子

2017-05-01 | Category スペシャル

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