創刊から120年、宗教・宗派を越え時代を見つめ続ける(中外日報社 社長・形山 俊彦)


創刊者の真渓涙骨(またにるいこつ)時代に新たな一歩

1897(明治30)年に真渓涙骨(またにるいこつ)氏によって創刊され、今年120周年を迎えた宗教文化専門紙『中外日報』。仏教をはじめ神道、キリスト教、新宗教など宗教、宗派を超えた記事を掲載し、日本の宗教界に重要な役割を果たしてきた。今回、中外日報社代表取締役社長であり同紙の主筆である形山俊彦(かたやまとしひこ)さんに、創刊当時からの歴史を語ってもらった。「この新聞を創刊した涙骨社主は、福井県敦賀にある浄土真宗本願寺派の寺院の長男として明治2年に生まれました。西本願寺立の普通教校に入学すると、腕白ぶりを発揮して1年ほどで退学。その後、博多・万行寺(まんぎょうじ)の七里恒順(しちりこうじゅん)和上のもとで修行するも、やはり和上を悩ましていたようです」

破天荒な人柄のようだが、この時期からすでに情報発信への魅力は感じていたようだ。「この頃にガリ版刷り新聞を発行しており、ペンを持って何かを書き伝えることには魅力を感じていたのだと思います。その後、七里和上から『自分にふさわしい道を行きなさい』と言われ、万行寺も追放された。そしてその後8年間ぐらい転々放浪の生活を続け、明治30年に京都に出てきて『中外日報』の前身である『教学報知』を発刊しました」

明治には、さまざまな新聞が創刊されていたが、宗教に関わる出版物は教団の機関紙誌ぐらいで、いわゆる宗教新聞としては『教学報知』が初めてではないかと推察される。「大教団に対する批判的な記事を書いていたことから、当時はかなり衆目を集めたのではないでしょうか。文章の練達な人だったことから、多くの人に読まれたことでしょう」

宗教と社会をつなぐ中外日報の誕生

そして1901(明治34)年、『教学報知』の終刊号を発行。翌年の1902( 明治35) 年に「教学報知の死、中外日報の生」を宣言して『中外日報』が第一歩を踏み出した。“宗教を中心として普く政治、文学、実業その他中外の諸方面に渉りて報道、論評を試むべし”というのが『中外日報』の発刊主旨だ。「宗教がベースにあるけれど、世間一般あらゆる出来事を記事にする。中外という名前も、宗教界のウチだけでなくソトのことも掲載する。国内国外も含めて、もっと大きな視野で記事掲載をしていくものとして登場しました」。創刊以来、第一線で活躍する宗教者や思想家、政治家、社会活動家が数多く執筆。明治期には清き よざわまんし沢満之、三み やけせつれい宅雪嶺、井上哲次郎、新にとべいなぞう渡戸稲造、幸こ うだろはん田露伴らが、大正から昭和にかけては暁あ けがらすはや烏敏、鈴すずきだいせつ木大拙、西に しだきたろう田幾多郎、吉野作造、菊きくちかん池寛、武む しゃのこうじさねあつ者小路実篤ら名だたる名士が紙面を彩った。

真渓涙骨氏創刊者の真渓涙骨氏

しかし、第二次大戦を迎えるにあたって大きな危機に出会うことに。「当時は言論統制があり、新聞社は統廃合されました。本来、発刊できるのは“一県一紙”だけ。京都は京都新聞がありましたので、弊紙は廃刊となってもおかしくなかったのですが、京都では京都新聞に加えて『中外日報』も発刊が許されました。つまり、そのような時代でさえ私どもの存在意義が認められたのです。その後も一貫して、外から見れば閉ざされてみえる宗教界の内部事情を、第三者の目で情報公開していくという、私どもの基本姿勢は変わりませんでした。宗教に対して時代の空気や時代の流れを伝えていくこともできるし、社会における宗教の立ち位置を分析して提示するということもできる新聞だと思っています」

そして新たな時代へ中外日報の存在意義

当然、少子化による宗教離れ、過疎化による檀家制度の崩壊など、昨今の宗教界における問題についても注視する。「今、若い人たちの宗教離れを危惧する話がよく聞かれますが、それについて私は違う意見を持っています。確かに葬儀や埋葬の形は変わりましたが、心のなかの宗教心が薄らいだとは思えません。興福寺の阿修羅像を東京にもっていけばすごく人が集まるように、人々は何かを宗教に求めているのです。寺社が今までとは違う窓の開き方をすれば、人々は入ってくるのではないかと思います」

今後も、真渓涙骨氏から脈々と伝わる精神を軸に据えて発刊を続ける中外日報。「私たちは、涙骨社主の言われた、宗教をベースとしてあらゆる社会事情を報道していく新聞であると同時に『宗教とは何か』を問いかける場であるべきだと思います。また、宗教文化専門紙ということから言えば、宗教の原点から現在に至るまでの歴史、そして現状を理解することが重要です。それも、宗教と一体となって考える。そういった記者の自己研鑽によって現代宗教の問題を提起できるのです」

この研鑽によって得られた「日本の宗教文化に関する情報」は、他の新聞では獲得できない貴重なもの。昨今の海外旅行客が、日本文化に対してさらに深い知識や体験を求める傾向があるなか、この情報は非常に有効だ。「私どもは日本宗教界に関する知識を持っており、それは日本文化に興味を持つ海外の方々にも有益だと思います。また、全国寺社観光協会さんは観光という切り口のユニークな視点を持っている。日本文化の発信という観点から、今後、互いに協力できる部分もあるのではないでしょうか」。日本宗教界と社会をつなぐ役目だけでなく、日本文化の発信という新たな役割も未来に据えている。

活性人-1512008(平成20)年3月に『中外日報』創刊110年記念として出版された『八十八年いのち輝きて 真渓涙骨翁』。創業者、真渓涙骨の生きた88年をまとめた書籍

活性人-1482015(平成27)年12月1日に中外日報社より発行された冊子『日本宗教界と戦争/平和 日清戦争から120年の軌跡』。近代日本の宗教界は戦争といかに関わり、平和にどう取り組んだかをまとめた貴重な資料

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2017-05-08 | Category インタビュー

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