【特別対談・後編】德川家広氏×四天王寺 鼎談(ていだん)


各界の著名人の方と寺社の方をお招きし広い視野で寺社の活性化について語り合う特別対談企画。

今回は、【特別対談・前編】德川家広氏×四天王寺 鼎談(ていだん)に引き続き、德川記念財団理事で著述家の德川家広氏と、2022年に「聖徳太子千四百年御聖忌」を迎える四天王寺執事の山岡武明氏と同寺総務部参詣課信徒係主任の瀧藤康教氏との対談(後編)をお届けします。

仏教を中心とした徳川家と四天王寺の関係性や、現代の日本社会における宗教者の役割などについて語り合っていただきました。
 
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左:德川家広(とくがわいえひろ/公益財団法人德川記念財団 理事)
中央:山岡武明(やまおかぶみょう/和宗総本山四天王寺 執事)
右:瀧藤康教(たきとうこうきょう/和宗総本山四天王寺 総務部参詣課信徒係主任)

 

これからの日本社会では宗教者の役割が重要になる

德川家広(以下、德川): この歳になってようやくわかってきたのですが、「生きている間、一度もいい人に会わないまま死んでしまうかもしれない」という人が、今は本当に多いんですね。

瀧藤: 実は先日、境内で、年配の男性から「お坊さん、お坊さん」と声をかけられたんです。「ここは聖徳太子さんのお寺やろう。弘法大師や親鸞上人、法然上人もおる。今のお坊さんはどうや。有名な人はおるか。銅像になるような人や、教科書に載るような人はおらんやろ」、そう言われて何も言い返せなかったんですね。
自分も人から慕われ、目標にされるような人間になりたい。でも、自分が生きている間に果たしてなれるのか。どうしたらそんな人間になれるのだろう、と、つくづく考えさせられました。

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德川: 江戸時代には天海僧正(てんかいそうじょう)や隠元禅師(いんげんぜんし)など、有名なお坊さんが何人も出ましたが、ある時期からパタッといなくなってしまった。名僧の系譜が途絶えたのには理由があります。平和で安定した時代が続き、仏教の教えが隅々まで浸透して、需要が減ってしまったんですね。ところが明治以降、世の中が乱れてくると、ちょっと有名な禅僧が出てきたりする。世の中が乱れれば、宗教にすがる人も増え、突出した宗教家が登場します。今後、世の中は放っておいても悪くなりますから、宗教家が求められる機会は増えると思います。

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山岡: 求められたときにしっかりと活動できるよう、修行して準備しておくことが大事だということですね。今、宗教者として頼られていないからといって、腐ってはいけないと。

德川: 日本の経済成長がピークを迎えた1980年代にも、悲しみの中で生きている人は大勢いたわけです。でも、今はもっとわかりやすいかたちで、さまざまな問題が吹き出している。たとえば、IT技術に奪われた仕事は二度と戻ってきませんし、働きがいのある仕事は減る一方です。その分、私たちは助け合って生きていかなければならない。ある意味、昔の日本に近づいているといってもいいかもしれません。

山岡: たしかに、「お寺が求められている」と感じる機会は増えています。最近、役所から、「境内で子供たち向けのイベントを開きたい」と依頼されることが多いんですね。昔は宗教色がつくのを嫌っていた役所が、お寺に寄って来てくれるようになったんです。今は、子供たちに心の豊かさや日本人としての誇りを学ばせたい、と願う人たちが増えている。歴史と伝統を求めてお寺に来られる方もいれば、スピリチュアルな癒しを求めて来られる方もいて、確実に仏教ブームが来ていると感じます。このチャンスを活かし、伝統の上で新しい試みをするための土台作りをやっているところです。「救われました」「ありがとう」という声はしょっちゅう聞きますので、それを次の世代にも体験してもらえたら、と思いますね。

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德川: そういう声は、具体的にはどのような状況で聞かれるのですか。

瀧藤: お寺にはいろいろな電話がかかってくるんですが、仏事相談だけでなく悩み事の相談も多いんですね。なかには、「今すぐ死にたい」「私はこれからどうして生きていけばいいんだ」と言われる方もいます。誰かに悩みを聞いて欲しい。でも、誰でもいいわけではない。在家の職員ではなくお坊さんに話を聞いてもらいたい、それだけで安心するんだ、と言うんですね。我々も電話をとったからには、この人たちをどうにかして安心させられるような存在でなければならない。時には1時間以上、延々と話を聞くこともあります。「どうですか、すっきりしましたか」と聞くと、「安心しました。でも、明日もかけるかもしれません」と言う人もいます。それでも、安心していただいて、最後に「ありがとう」と言っていただけるということは、仏教に帰依してきた者として本当に大切なことだな、と感じます。

山岡: 悩み事を繰り返し聞いて、ちょっとずついい方に向かってきたかと思うと「死にたい」と言ったりするので、難しいところではあるんです。でも、そうやって耳を傾けるうちに、一瞬一瞬、自分の親の話を聞くのと同じ気持ちで他人にも接する、という心境になってくる。修行ですよね。
 お坊さんは少なからず、そういう気持ちを持っている。その背中をたくさんの人に見てもらえるように、世の中に出て活動をしなければならない。でも、僕らがそんな気持ちでいるということは、世間一般にはあまり知られていない。今後どうしたらいいのかな、という思いもあるんです。

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德川: それは、とても嬉しいお話です。既成宗教の危機はどの国でも言われていますが、今の日本は無慈悲な社会になりつつあるから、慈悲の教えが広がる余地は大変に大きいと思います。お寺の数がここまで増えたのは、江戸時代の寺請け制度において、戸籍管理という公務を担っていたからなんですね。
 一方、今は政教分離の時代ですから、お寺が苦しいのは当然なんです。その中で、聖徳太子以来の伝統を引き継ぎ、それを広げていこうとしておられるのは素晴らしいことだと思います。

 

先人の思いを後世に引き継ぎ協働して発信していきたい

司会: お話を伺っていて、今後は仏教の教えを社会の中で実践していくことがますます重要になると感じました。その点で、德川さんと四天王寺さんは認識を共有されていると思います。今後、何らかの形で協働していかれるお考えはありますか。

山岡: 今の日本を築いたターニングポイントの一つに聖徳太子の時代があり、江戸時代がある。共通するのは、平和を希求した点にあると思うのです。徳川家の名を背負い、後世に引き継ぐ使命を持った方がどのような発言をされるのか、多くの人は興味を掻き立てられると思います。その意味では大変な発信力をお持ちですから、今後もいろいろな発言を通じて影響力を発揮する存在になっていただきたいですね。ぜひ、僕らの心を動かしてリードする存在になってもらいたいと思います。

德川: 聖徳太子は貧しい人、苦しむ人にまで目配りした政治を行いましたが、その精神は、平安時代から室町・戦国時代に至るまで休眠状態だった。ところが江戸幕府の時代になると、再び全国民のための政治を目指すようになります。聖徳太子の精神が、江戸時代に復活するわけです。では、「徳川家康は聖徳太子をどこまで意識していたのか」という点を、歴史的事実として解明したい。それと同時に、江戸時代の大阪はきわめて大きな重要な町だったので、徳川幕府は四天王寺をどう位置づけていたのかも調べてみたいと思います。聖徳太子と徳川家康は、日本史の中で同じことを目指していた。それを、四天王寺さんと協働して発信できたらうれしいですね。

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司会: 最後に、全国寺社観光協会(寺社Now発行元)への期待をお聞かせください。

德川: 東京には、徳川家ゆかりの増上寺と寛永寺があります。両寺とも空襲で焼失してしまったので、戦前の姿をビジュアル化するお手伝いをしていただけるとありがたいですね。増上寺は古い写真がかなり残っているので、CGを使えば完全復元が可能です。その点でお力添えをいただければ、と思います。

山岡: まずは、今回の対談の機会を作っていただき、ありがとうございます。今は各寺院のやりくりが大変になり、寺院同士のつながりも薄くなっています。全国寺社観光協会のネットワークを活かし、今後も〝つなぎ役〟として活躍していただきたいと思います。

瀧藤: 全国寺社観光協会の監修で、大阪の下寺町に「和空」という宿坊ができた時は本当に驚きました。和空では、坐禅や法話、写経など、仏教を知らない人にも仏教を体験していただける仕組みをたくさん作っていただいています。そこから会話が生まれ、再び地域全体が仲よくなれる時代がもう一度来るかもしれない。これからも、人とお寺、お寺同士をつなぐ、和空のような場を作っていただければと思います。

司会: ありがとうございました。

<プロフィール>   德川 家広(德川記念財団理事)
1965(昭和40)年2月7日生まれ。父・德川恒孝(德川宗家18代当主、元日本郵船副社長、德川記念財団理事長)の仕事の関係で、小学校1年から5年までをアメリカで過ごす。学習院高等科を経て、慶応義塾大学経済学部に進学。卒業後、米ミシガン大学大学院で経済学修士号を取得。国連食糧農業機関FAOローマ本部、ハノイ支部で勤務後、コロンビア大学で政治学修士号取得。その後、フリーの翻訳家、著述家に。

山岡 武明
役職:和宗総本山四天王寺 執事・総務部参詣課 課長。勝鬘院 愛染堂 住職。和宗仏教青年連盟 代表。全日本仏教青年会 副理事。
職歴:和宗総本山四天王寺

瀧藤 康教
役職:和宗総本山四天王寺総務部参詣課信徒係 主任。光徳山瑞雲寺真光院 副住職。和宗仏教青年連盟 理事。職歴:学校法人四天王寺学園。四天王寺福祉事業団 社会福祉研修センター。和宗総本山四天王寺

公益財団法人 德川記念財団

德川記念財団は、德川宗家(将軍家・公爵家)に伝来した歴史的・美術的・学術的重要品を広く学術研究ならびに社会教育上の公益に供し、日本近世並びに近代の研究の発展に寄与することを目的として、2003(平成15)年4月に德川宗家18代当主德川恒孝が設立し、2011(平成23)年4月に公益財団法人に認定された。主な事業は下記の通り。
 1. 德川宗家伝来資料の保存管理修復・関連資料収集。
 2. 久能山東照宮博物館・日光山輪王寺宝物殿における常設展示(自主企画)。
   全国各地での関連展覧会の共催。他館への特別協力や出品協力などの展示活動。
   図録の編集・刊行など。
 3. 所蔵資料の調査・研究、研究機関との共同調査・研究。
 4. 日本近世史研究の業績への表彰や奨励を目的とした
   「德川賞」「德川奨励賞」を選定、授与。
 5. 古文書講座の開催、児童・生徒を対象とした作文コンクールの実施、
   歴史講座等への講師派遣、年2回の会報発行など。
当財団の事業活動は賛助会員の皆様からのご支援によって支えられております。さらなる歴史・文化の継承には皆様からのご支援が必要です。ご検討いただければ幸いです。賛助会員・ご寄附のお申込み方法など詳細は下記までお問い合わせください。

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和宗総本山 四天王寺

四天王寺は今から1400年以上前、593(推古天皇元)年に建立された。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り「もし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立したと伝えている。2022年には聖徳太子の没後1400年にあたる「御聖忌(ごせいき)」を迎える。四天王寺では「御聖忌」を迎えるにあたって中心伽藍の改修工事を始め、聖霊院の増改築や、建造物・境内一円の改修・整備が行われていて、またこれを善きご縁として多くの人々に四天王寺を身近に感じていただき、太子のご遺徳を後世に伝えることを目的とした奉賛会が結成されている。

〒543-0051 大阪市天王寺区四天王寺1 丁目11 番18 号
TEL:06-6771-0066
http://www.shitennoji.or.jp/

情報誌・寺社Now vol.14 特別対談企画より
司会・構成 : 吉田 燿子

2017-05-08 | Category スペシャル

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