
(左上)頂法寺(六角堂)西側のビルから東方を眺めるの図。(右上)池坊所蔵「聖徳太子絵伝 十六歳 六角堂創建の場面」より。用明天皇2年(587)、四天王寺(大阪市)を建てるための木材を探しに山城国愛宕郡(京都市)にやってきた16歳の聖徳太子は、念持仏の如意輪観音像を本尊とする六角堂を創建した。(右下)境内の太子堂と聖徳太子沐浴の古跡
西国三十三所、洛陽三十三所の札所にもなっている六角堂の正式名称は、紫雲山頂法寺(天台系)。本堂が六角形であることから六角堂と呼ばれ、地元では「六角さん」と親しまれている。聖徳太子が四天王寺建立の用材を求めてこの地を訪れたさい、霊告によって六角形の御堂を建て、守護仏の観音像を安置したことを縁起とする。
太子が振興した仏教の経典「法華経(妙法蓮華経)」では、尊敬の気持ちを持って仏(ほとけ)をもてなす10通りの供養の筆頭に「華(花)」が挙げられている。やがて室町時代に、仏をもてなす花が、客人をもてなす花へとして進化し、「いけばな」が成立した。六角堂は、まさにその歴史的な展開の拠点であり、それがゆえに「華道発祥之地」とされている。
池坊のいけばなは「他を生かして、ともに生きる」という精神のもとで、さまざまな草木をひとつに調和させ、そしてそこに美を見いだそうとする。これは、聖徳太子が十七条憲法で「和を以て貴しとなす」と説いたその精神を受け継ぎ、次の世代へとうまずたゆまず継承し続けていることの証でもある。