「デスカフェ」って何!? 死をカジュアルに語る海外生まれの新たな場が日本でも拡大中

【寺社Now22号(平成30年11月発行)】より

※情報は掲載時のものです

“死”は必ず訪れる。誰しもそれを理解しているはずなのだが、死について日常的に語ることは、なんとなくタブー視されてきた日本。しかし今、死をテーマにしたセミナーやワークショップが増えている。「デスカフェ」と呼ばれるこの活動、巷で盛んに開催されている「終活」とは少し違う。「デスカフェ」とは何なのか、なぜ日本を含め世界中で急拡大しているのか、事例を通して考えてみた。


 

生を有意義にするため、死について語る場が誕生

デスカフェは今、世界60か国以上で開催されているという。

スイスの社会学者ベルナルド・クレッターズが昭和57年(1982)に「死生学研究会」を立ち上げ、その後、伴侶との死別を機に「cafe mortel」を主催したことが始まりだとされ、そこからインスピレーションを受けたイギリスのジョン・アンダーウッド氏が「デスカフェ」という非営利組織を平成23年(2011)に立ち上げた。組織のコンセプトは「限られた生を有意義なものにするために、死について考えよう」というもの。実際に開催された「デスカフェ」は参加費無料、カフェなどの店舗の一角でお菓子やドリンクと共に、初対面の人たちと死について語り合われた。

90年代以降、イギリスでは死について考え、議論する環境が社会的に整っていたことも、デスカフェ誕生の大きな要因だろう。また欧米では、60年代後半からデス・エデュケーション(日本では死への準備教育と訳されている)が盛んに行われており、死を語る土壌が醸成されつつあったことも背景にはある。

イギリスで「デスカフェ」が立ち上がり、話題となると、ヨーロッパを皮切りに一気にアジア各国まで広がっていった。「誰もが安心して死について話せる環境」「議論を誘導しない」「おいしいお菓子や飲み物を用意する」という堅苦しくないスタイルが、拡散し、受け入れられた理由だ。

現在主流となっている「デスカフェ」は、先述の3項目に加え、「カウンセリングをする場ではない」「結論を出す場ではない」というルールもある。では何のために集まるのかというと、死についていろいろな人の意見を聞き、自分の考えをまとめてみる場、とでも言おうか。ともあれその波はもちろん日本にも及び、葬儀社や僧侶によって国内でも「デスカフェ」が開催されるようになってきている。

デスカフェのルール

ルール1 非営利で開催すること
ルール2 誰もが安心して話せる環境づくり
ルール3 議論を誘導しない
ルール4 おいしいお菓子や飲み物を用意する
ルール5 結論を出す場にしない

独自の展開を見せる日本の「デスカフェ」

しかし、葬儀社が開催しているものの多くは、「終活」の一環。遺言状の書き方など終末期の準備をするためのセミナーに近い。また、近親者を亡くされた方が、同じ悲しみを抱える者同士で支え合うことやグリーフケアを目的に開催している事例もある。主催者によって開催への思いは異なるのだが、共通しているのは「死について語る場を生み出す」ことの重要性だ。

そんな中、京都を中心に活動する若手僧侶グループ「ワカゾー」は、東京や京都の寺院を舞台に、若い世代をターゲットとする「デスカフェ」を開催、注目を集めている。

定期的に開催され、参加者の年齢層は20代〜40代の男女がほとんど。「ワカゾー」のメンバーは主に寺院の出身者で、加えてスピリチュアルケアやグリーフケアなどに関わった経験を持つ者も数名いる。ではなぜケアの延長線上で会を催すのではなく「デスカフェ」という選択をしたのだろうか。

「遺族とかでなくても、少しカジュアルに、死について気軽に語れる場所があってもいいのではないかと考えたからです」と言うのは、メンバーの一人、霍野廣由(つるのこうゆう)氏。

彼らが開催している「デスカフェ」は、弔辞を二人一組で考え合ったり、死ぬ直前に伝えたいことを発表したり、死のイメージを絵にするなど、毎回テーマが異なる。カフェの実施に当たって大切にしているのは「死を話しやすいお題に代えてあげること。根本は死ぬことをどう思いますかと言っているのと同じです」。

共に実家が浄土真宗寺院という「ワカゾー」メンバーの霍野廣由氏(右)と藤井一葉さん(左)。会の運営では、明るさやリズム感を意識している

 

興味本位で構わない。まずは話してみよう

「ワカゾー」が「デスカフェ」を立ち上げたのは平成27年(2015)のこと。手探りで始めたことだったが、参加者との会話を通して、寺院という環境に安心感を持つ人が多いこと、そして心の中にモヤモヤとある死への思いをどこかで出したいと思う人が意外と多いことに気付いた。その上、参加したことで心が軽くなったという人も多かった。

看護師や消防士、葬儀会社勤務、リストカット経験のある人、終活中の高齢者など、毎回参加者のバックボーンはさまざまだが、「皆さんが参加に至った背景は気にしなくていいと思うんです。興味本位でも構わない。ちょっと話してみようかな、くらいの軽い気持ちで参加してもらえれば」と霍野氏。

死について一人で考えているよりも、集まって話してみたら、新たなアイデアや気付きが得られるかも知れない、という程度の心づもりで参加してもらえればいい。ただしあまりにも自由で、場の流れに任せて楽しいだけの場になってしまうと良くないので、そこはメンバーがファシリテーター的に関わりながら、会のバランスを取っていく。

「自分の中で抱えていた思いをこの場で出すと、その空いた部分に参加者との話を通して得たものが入っていくイメージですね」

「ワカゾー」主宰の「デスカフェ」は、ほぼ隔月で開催。寺院の本堂を主な会場とし、年齢・性別・職業など、まるで異なる参加者が初対面で死について話をする

かつて、母子での参加者がいた。特に深刻な問題を抱えているわけではないのだけれど、母親は看護師、子供が死についてどういうイメージを持っているのかを知りたくて、いきなり話すのではなく、まず「デスカフェ」に参加してみたそう。子供が参加者の前で話す死についての思いを母親は客観的に聞き、母もまた、参加者の一人として話をする。その子供は「家に帰ってお母さんと続きの話をするんだ」と言って帰って行った。

会話がスムーズに生まれるよう、「ワカゾー」メンバーはテーマやコンテンツを用意する

このように死について話すことをタブー視するのではなく、コミュニケーションの一つに加えてみる。そうすると親子だけでなく、いろいろな人間関係の質に変化が見られるかも知れない。確かにいきなり死について話すのは難しい。だからこそカフェで話を引き出してもらい、意見を出し合うという場の空気で、自分を少しだけ軽くするのだ。死についてちょっと気になっている人が集まり、カジュアルに死を語る場。その可能性は計り知れない。

 

僧侶という存在はモヤモヤをぶつけやすい?

ちなみに「ワカゾー」の「デスカフェ」は、東京や京都、大阪の寺院で開催されることが多い。また、本来のルールとは少し違う点もある。

「カフェで開催しているわけでもないし、テーマを毎回決めているし、イギリスでのデスカフェとはだいぶ異なっていると思います。しかし死について話しづらい日本では、テーマを設定することが話しやすさにつながりますし、寺院という場所だからこその安心感もあると思います」

かくして「デスカフェ」は日本に上陸し、独自の進化を始めている。確かに一般的には僧侶に相談すると諭してもらえるといったイメージを持つ人も多い。また寺院は漠然とした安心感を得られる場所と捉えられていることも、話しやすさの前提にある。

「お寺で開催されるなら、お坊さんが話してくれるなら行ってみようかな、という気持ちが参加してくれる人たちにはあるようです。これってお寺の可能性ではないでしょうか。お寺という場所は、死で終わらない物語が紡がれてきた場所だと思うんです。だからこそデスカフェを開催する意義があると感じています」

「デスカフェ」の可能性は寺院の可能性でもある。また、僧侶が主催していることが広まり、ほかの寺院でも僧侶の方が「うちでもやってみよう」と思ってもらえたら嬉しいと霍野氏。もちろん、寺院の有効活用にもつながるだろう。

まるでアフタヌーンティーを楽しむかのように人が集い、にこやかに死について話す。「デスカフェ」はこの独特の気軽な雰囲気が世界中で受け入れられ、急速に広まっている

 イギリスで誕生した「デスカフェ」には、宗教関係者が必ずしも関係していなかった。しかし日本では、宗教者が積極的に関わることで多くの人の心を穏やかにできるのではないだろうか。またその先には、寺院の活性化、地域の活性化への道も見えてくるように感じる。


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