日本全国各地にいるお坊さんに人生相談できるインターネットの新サービス「オンライン僧侶クリニック」が開設され、話題となっている。現在、この「オンライン僧侶クリニック」の開設を記念して、ベストセラー作家で高野山真言宗の僧侶でもある家田荘子さん(高野山本山布教師・大僧都)出演の、特別対談動画『そうだ、お坊さんに相談しよう』シリーズが期間限定で順次公開されている。
今回(第3回)は、シンガーソングライターとしても活動する、奈良・光明寺(浄土真宗本願寺派)の三浦明利住職との対談の模様をお伝えする。
三浦氏はお寺の一人娘として生まれ、16歳で得度。住職として法務に従事する傍ら、シンガーソングライターとしても活動している。つらいときに受けたカウンセリングで救われた経験から、今度は自分がだれかの助けになりたいという思いを抱く。僧侶クリニックでは多くの相談者から人気を博している。過去に音楽事務所へ所属しながらも、一度は音楽の道を諦めた。住職になるまでの経緯や、その中で芽生えた想いを語る。
三浦明利氏プロフィール
1983年 光明寺(浄土真宗本願寺派、奈良県吉野郡大淀町)の一人娘として生まれる
1999年 得度
2006年 仏教音楽儀礼研究所研究生
2008年 龍王山光明寺第21世住職就任
2011年 龍谷大学大学院真宗学修士課程修了
シンガーソングライターとしてCD「ありがとう」でメジャーデビュー
リリース・演奏・講演活動を全国で行う。
2012年 「わたし、住職になりました」(アスペクト刊)出版
2018年~2020年 毎年、日本コロムビアよりCDアルバムをリリース
住職として、シンガーソングライターとして、
母としての生きざまは新しい女性の生き方として多数メディアで取り上げられている。
2021年 JADP認定メンタル心理カウンセラー資格取得
◆大好きな音楽を諦めて実家のお寺を継ぐことに
―三浦先生は、お寺で生まれていらっしゃいますよね
はい、お寺の一人娘として生まれました。お得度を受けさせていただいたのは、高校1年生のときです。そのときに、ご門徒様が泣いてくださったことを強く覚えています。「お坊さんになってくれたの」「あんな小さかった明利ちゃんが」……と。私はその涙を見て、お袈裟を着けさせていただくのがいかに大切なことなのか、その重みを感じました。
お得度を受けて間もなく冬が来て、父とふたりでインドの仏跡を回りました。印象に残っているのは、夕暮れのブッダガヤで世界中の方々が礼拝をされている光景です。仏教が生まれてから2500年経った今でも、世界中にこれだけのファンがいる。仏教とはいかに素晴らしいものなのか、そして、それはいったいなぜなのかを考えました。
実は、両親は私に「お寺を継ぎなさい」とは一度も言ったことがなかったんです。継ぎたくないなら継がないほうがよい、嫌なら継がないでほしい、という考えでした。しかし、そう言われ続けているうちに、私のほうが「どうすれば継がせてもらえるのかしら」と思うようになっていましたね。
―ご両親の思惑にはまった?(笑)
そうなのかもしれません(笑)。もともと私は音楽が大好きで、学生時代にはバンド活動をしていたんです。音楽事務所にも入って、将来の夢はロックスターでした。
しかし、私が25歳のときに、住職であった父が突然退任したんです。私は音楽事務所を退所して音楽を辞め、学校も休学しました。当時の自分にとって一番やりたかったことを何もかも諦めて、実家のお寺に帰ってきたんです。
その時期は、やはりとても苦しかったですね。おこがましいのですが、すべてのことを自分ひとりでやっているような気になっていたわけです。まるで、ひとりぼっちになった気分でした。
―大好きな歌も諦めていらっしゃったんですか?
そのつもりでした。けれど、お月参りで阿弥陀経をお勤めさせていただくうちに、「あ、お経も音楽だわ」「声明って音楽なんだ」と気付かされました。実際のところ、私は音楽にあふれた生活を送っていたんです。
そんなことを思う中で、自身の逆境と向き合うことを決心したきっかけは、法座をしたときの出来事です。自分では今までで一番失敗したと思った法話の席で、皆さんが今までにないほど、うなずきながら話を聞いてくださっていたんですね。「あぁ、私を育てようとしてくださっているんだ」と思いました。周りの方々の温かさが、氷のようになっていた私の心を溶かしていった気分でしたね。
悩みというのはある意味で、一生懸命に生きている証です。時間はかかるかもしれないけれど、いつかその逆境に「ありがとう」と言える日が来るのかもしれません。
◆つらい思いをしている方の“友だち”として相談に乗りたい
―三浦先生は周りの方々に支えられて救われて、僧侶として一生懸命に歩まれています。そういったご経験があるからこそ、同じような悩みをお持ちの方を救ってあげられるのではないでしょうか
もし私とお話をしてみたいなと思ってくださる方がいらっしゃるのでしたら、悩みながら生きている友として、ぜひ共に歩んでみたいと願います。
―三浦先生はまたシンガーソングライターになられますよね。それはどうしてですか?
演奏に来てほしいとご依頼があったのが理由です。そのときに、ひとりの方が車椅子で遠くから聴きに来てくださいました。
そこでこれからは、仏教でいただいた気付きを歌にして歌っていこうと考えました。僧侶として歌っていく活動があらためてはじまったわけなんです。
―これまで受けたご相談をお教えください
自傷している方や、死にたいという思いに駆られている方からご相談を受けました。私も同じような経験がありますし、死にたいと思うのは特殊なことではないんですよね。
「生きていけないくらいつらい」が「死にたい」という表現になっているだけであって。「死にたい」という思いは、そのつらいことがいずれ解消されるのなら、本当は「生きたい」という叫びではないのかと思います。
そのようにお伝えしたところ、「そんなことを思ってはいけないと思っていた」「すっきりした」と言ってくださった方もいらっしゃいましたね。
―つらいことがあっても誰にも相談できない方でも、僧侶クリニックならオンラインで気軽にご相談できるのではないかと思います
私も人生の本当につらいときに、カウンセリングを受けたことがあります。自分自身が見えていなかったものや自分でも知らない自分など、問題を解決する糸口が見つかって、すごく助かったんです。しかしカウンセリングを受けるまでには、言葉には表せないような勇気が必要でした。
この生きにくい社会を生きていくためには、相談できる人がひとりでも多くいたほうがいいと思います。仏教のみ教えには、人を救うことができる力が詰まっています。だれかに相談したいけれども相談できないという方は、ぜひ私にオンラインで話しかけてもらえたらうれしいです。
―そうですよね。相談するためにクリニックや相談所に行くのは、勇気の要る大変な作業だと思います。その点、オンライン僧侶クリニックはインターネットで手軽に相談ができます
遠方にお住まいで一生出会うかわからなかったような方と、隣に座っているかのようにお話できるのは、大きな強みだと思います。今の時代のいい部分が詰まっていると感じますね。
動画をご覧になられている皆さま。私を友だちと思って、逆境を乗り越えていく仲間として、一緒に歩ませていただければうれしいなと思います。
ぜひ、私を友だちのひとりに加えてくださいませんか? 僧侶クリニックでお待ちしています。
インタビュアー:家田荘子(作家・僧侶)
これまで光が当たってこなかった世界や人々にスポットを当て、取材することによって社会問題を提起する異色の作家。平成3年(1991)『私を抱いてそしてキスして~エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録~』で第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。コミック原作や恋愛エッセイ、小説にも定評があり、著作は130冊を超える。
著書に『極道の妻たち®』『代議士の妻たち』『バブルと寝た女たち』『私を抱いてそしてキスして』などがあり、30作品以上が映像化されている。近著には『熟年婚活』などがある。
また、高野山で修行を積み、平成19年(2007)、高野山大学にて伝法灌頂を受けて僧侶に。高野山の奥の院、または総本山金剛峯寺にて駐在(不定期)し、法話を行っている。