京都とは何だったのか。旅するとは何なのか。
「四半世紀にもわたって“京都へ行こう”と発信し続けてきたのに、コロナ禍で世界中の人々が動けなくなった瞬間、いったい何を伝えればいいのか、わからなくなりました。でも、そこで向き合ったのは、やはり京都だったんです。これまで寺社のビジュアルに言葉をのせ、人間とは何なのか、時代とは何なのかというメッセージを伝えてきたつもりです。ところがこのメッセージは、現地へ行って京都を体感してもらうことが大前提でした。だとしたら、行くことができない間に京都を思うことはいったい何の意味を持つのか? そこをずっと自問自答していた気がします」
これまでのコピーで意識してきたのは旅人の言葉で伝えること。しかし、旅ができない。では何を伝えればいいのか・・・。
しばらくして彼女は、「旅とは今いるところとは違う場所へ行くこと」「街が持つ引力に魅せられて日常から離れる行為」だと再確認した。その「街」の代表格が「京都」なのだとも。
京都の「街の引力」の正体とは?
「街のそこかしこに物語が隠れているのが京都で、寺社には特に、幾時代もの物語があります。建物、庭、石など一つひとつに物語と歴史があり、それらが積み重なって今の京都が形作られていると思います。たくさんの時代の、さまざまな時間。それぞれがとても離れているはずなのに、寺社という場所では、ギュッとつながっている。つまり京都は、遠い時間を瞬時に今へつなげてくれる街なんです」
観光客は訪れなくても、京都の人々は淡々と日常を積み重ねていく。例えそれが10年、100年、500年、1000年と離れていようとも。京都に行けばそんな時間の長さが「今」という形で見ることができる。
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平成13年(2001)の冬は、小雪舞う知恩院(浄土宗大本山、京都市東山区)の三門。京都の町の人が言う「知恩院は冬にあり」からインスピレーションを得た
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平成23(2011)年夏は本願寺界隈が舞台。左/東本願寺(真宗大谷派本山)、右/西本願寺(浄土真宗本願寺派本山、いずれも京都市下京区)を訪れた父子の背中が印象的
「たとえ1年離れていても、京都では日々が続いています。コロナ禍で移動がままならないと感じていても、次にまた訪れたら、それらは現在進行形として目の前にある。そう考えると、気持ちが楽になりました。また旅をすることへの光明が見えた気がします」
自分のコピーは、寺社という「場所」を紹介してきたのではなく、そこに積み重なっている「時間」を伝えてきたのだ。だからこれからも、京都の旅を発信することができる。今、太田さんはそう信じている。離れている時間は、次に訪れるまでの楽しみにもなるのだから。
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平成19年(2007)秋の大覚寺(真言宗大覚寺派大本山、京都市右京区)。日本最古の庭池・大沢池は人が創り、その姿が今もあるという時間の流れを再確認する