文:宍戸厚美 SHISHIDO,Hiromi
フリーライター
花手水研究会メンバー
20~30代のインスタ世代に、別小江神社(わけおえじんじゃ:愛知県名古屋市)が人気だ。住宅地にあり、大きい神社ではないが、インターネットサイトの「全国神社人気ランキング」御朱印部門で6年連続1位を獲得したこともあってか、御朱印ファンをはじめとする参拝客が途切れず、境内のそこかしこで〝映える〟写真を撮影しようとする姿が見られる。
古伝によれば、神功皇后が応神天皇出産時に身に着けていた安産の石を、尾張国造(おわりのくにのみやつこ)稲植が千本杉と呼ばれる場所に埋め、八幡社として祀ったのが始まりとされる。平安時代の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」にも記録がある。境内の末社のひとつ、延喜八幡社(祭神は神功皇后と応神天皇)は、安産、小児の守護神。一族の繁栄にご利益があると、織田・豊臣・徳川代々に厚い信仰を受け、1584(天正12)年には織田信雄の命によって、現在地に遷座。明治初年に別小江神社となった。
別小江神社の花手水は、6月はあじさい、7月スーパーボールと水風船、8月ひまわり、9月は菊…というように、生花に限らず、造花や造形物も使いながら、カラフル、かつ、にぎやかに、その月の行事や季節を表現しており、訪れる人を楽しませようとするエンターテイメント性が感じられる。
この日も社務所で受けた御朱印を、花手水の前にかざして熱心に写真を撮っている20代の女性がいた。見ていると、切り絵の御朱印を空にかざしたり、拝殿前の風車や風鈴を背景にしてみたり、境内の至るところで熱心に撮影している。これはインスタでよく見る撮り方だそうで、神社側も意識して境内の各所にフォトスポットを用意している。インスタ世代に受けているのも、そういった工夫がちりばめられているからだろう。
〝映える神社〟の立役者は、禰宜である兼子怜佳さん。この神社の総合プロデューサー的存在だ。
「どの神社でも、人々の深刻な宗教離れを危惧しています。でもなぜか、この話になると、具体的な案は出ず、どうしたらいいのだろう?で終わってしまいます。それが歯がゆくて、できることから始めようとしたのが、花手水や御朱印、境内の装飾です」(兼子さん)
彼女は、一番目立つ拝殿前の入口に和傘を飾り、色とりどりの風車や風鈴、ぼんぼりで境内を埋め尽くした。にぎやかな雰囲気に「祭りがあるのですか?」と尋ねる人も数知れず。しかし、この変貌ぶりに慌てたのが、兼子さんの父である宮司やまわりの神職、地域の氏子たちだ。
「みなさんからは、あまりにも変えすぎだ、静かにしてくれ、と厳しい言葉がありました。でも、私には、これまでの経験から、多くの人に受け入れられるという確信があったんです」と兼子さんは話す。
周囲の反対にも動じなかったのには、成功例を間近で見ていた経験がある。彼女の修業先だった子安神社(東京都八王子市)では、新しいことに果敢に挑戦する土壌があった。同僚の中には、芦ノ湖の湖水開きの際に、神主が水上スキーで爆走するというアイデアを実現させた人物がいたこともあり、伝える手段に決まりはないと実感。「これまでの常識を打ち破る発想こそが神社を救う」ということを、身をもって体験していたと話す。
「現在の宗教離れの原因は、神仏という目に見えないものの存在を感じる機会が少なくなったことにあります。神社に来ると背筋がピンとするとか、すがすがしい気持ちになるとか、カタチにならないものが、日本人の心の中にありますよね。だから私は、美しいとか可愛いと感じる心をきっかけにしたいと “映え”を意識しています。物事には筋があり、神仏の教えという筋さえ間違えなければ、その表現自体は、自由でいいと思っています」
実際、この小さな神社の大きな変化に、いち早く反応したのが若者たちだった。カラフルな御朱印や、思わず写真に撮りたくなる花手水がSNSで話題となり、参拝客が急増した。
「地域の人たちが一番驚いていましたよ。今では“もっとやって”と言われるくらい。ここが注目されることが、地域を活性化させ、日本の伝統文化を守ることに繋がると信じて、これからも愛される神社を目指していきます」
〝映え〟の向こうに、未来を見ている。
【別小江神社】
住所:愛知県名古屋市北区安井4-14-14
電話:052・912・5974
mail:wakeoeshrine@gmail.com
社務所営業時間:9:00~17:00
公式HP:https://wakeoe.com
Instagram・Twitter:@wakeoejinnja