独占公開!疫病も戦禍も共に苦楽を乗り越えてきた「いも観音さん」【東京長浜観音堂シリーズ第2弾】

第2回:いも観音さん〜いかなる苦楽も村人と共に

文:對馬佳菜子(観音ガール/仏像・地域文化プロデューサー)

【寺社Now編集部より】
 お江戸日本橋に期間限定で「東京長浜観音堂」が開設された。会期中に7万人ものギャラリーを集めて話題となった上野・不忍池「びわ湖長浜KANNON HOUSE〔観音ハウス〕」を継承するもので、〝観音の里〟として名高い滋賀県長浜市から、およそ2か月に1回、ユニークな観音像が交代でお出ましになる。
 びわ湖の湖北に位置するご存じ長浜は、平安時代から仏教文化が栄えた土地柄。室町時代以降の戦乱期には、戦禍から大切な観音像を守るために、地域の人たちが〝ホトケさま〟を田んぼに埋めて隠すなどして命がけで守り継いできた。現在も100を超えるホトケさまが地域に点在しており、人々の日々の暮らしと共にある。
 寺社Nowでは、東京長浜観音堂の開設を記念して、ホトケさまを守る地域の祈りの文化をシリーズでお届けしている。その第2回目となる今回は、好きが高じて長浜に移住までしてしまった〝観音ガール〟こと對馬佳菜子(つしま・かなこ)さんに、子供たちと川遊びもする(!?)第2期展示の観音像「いも観音」をご紹介いただくことにしよう。
 そもそも「いも観音」の「いも」とは、いったい何のことなのか……!?

東京長浜観音堂 第2期展示「いも観音」(滋賀県長浜市・天王山安念寺) 第2期展示 2021年11月14日(日)まで(東京長浜観音堂は2022年2月27日まで開催)

戦禍にあって村人たちが命がけで守った大切な「いも観音さん」。いずれも大きなダメージを受けたが、逆にそのことによって人々の信仰を篤くした

戦禍をくぐり抜けてきたホトケさま

第2期展示の「いも観音」は、ふだんは賤ケ岳の南麓の里にある安念寺に安置されている

「県外からお越しの方々がよく『離れがたい、優しい観音さんですね』と言ってくださいます」と嬉しそうに話す村人。賤ケ岳(しずがたけ)の南麓、滋賀県長浜市木之本町黒田西黒田にある安念寺。「いも観音さん」の名で親しまれ、県外からも地域で守り継がれる素朴なホトケとの出会いを求め、足を運ぶ人も多い。

安念寺のはじまりは奈良時代に遡る。藤原不比等に縁ある人物が安念寺を興して以来、藤原一族はこの地にとどまり藤田姓を名乗り、代々安念寺を守ってきたと伝承が残る。現在、西黒田集落10戸のうち9戸が藤田姓である。

平安時代の安念寺は天台宗山門派に属し、七堂伽藍が立ち並び、大いに栄えていた。しかし元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、比叡山の末寺であった安念寺も兵火にかかり堂宇は焼失。悲劇は続き、天正11年(1583)賤ヶ岳合戦で、柴田軍の放火によって安念寺は再び堂宇を焼失した。

この2度の合戦で村人たちは、お堂から仏像を運び出し、門前の田畑に埋めて隠し、守り抜いた。しかしその際に仏像は手足を失ったり、顔や体の表面が荒れてしまったりした。

その昔、疱瘡(ほうそう)が流行し、感染すると、高熱や全身に発疹が出て、治癒後も皮膚に残る痕跡の瘡蓋(かさぶた)のことを「いもがさ」と言った。「いも観音さん」は、仏像表面の荒れから「いも瘡(がさ)」に効験ある「身代わりの観音さん」として信仰された。安置されている10躯全ての像が「いも観音さん」であり、いずれも平安時代に遡る。

東京長浜観音堂 第2期「いも観音」像の足元 【写真:寺社Now編集部】

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