「輝け!お寺の掲示板大賞2022」(主催:公益財団法人仏教伝道協会)が決定、大賞ほか寺社Now賞など受賞全15作品が発表された。
2018年に創設された「お寺の掲示板大賞」は、寺院門前で見かける掲示板のうち印象に残った標語の写真をSNSで公募する企画(昨年2021年の大賞受賞作は「仏の顔は何度もでも」)。5年目の今年は昨年を大幅に上まわる過去最多4,093点の投稿が寄せられ、10歳の子どもによる作品が初受賞を果たした。主催する仏教伝道協会は「掲示板を通じて仏教の教えに触れてほしい」との期待を込めている。
「お寺の掲示板大賞」投稿作品数の推移
▪2018年:700
▪2019年:925
▪2020年:1,677
▪2021年:2,887
▪2022年:4,093 ←今回
※クリックで各年の受賞作閲覧可
ということで、僭越ながら寺社Nowも審査に参加して寺社Now賞を選出しているが、大賞ほか全15作品を画像データと共に一挙速報公開する。お寺が門前の掲示板を通じて語りかけるメッセージに、〝今〟を感じて〝明日〟を想う!
▪仏教伝道協会賞 大賞
武器を捨て 数珠を持とう 絵・文字 ⾧男(10)
受賞者(アカウント名):よっき@yokki256
撮影寺院:龍岸寺(浄土宗・京都府京都市)
講評:今年の2月に始まったウクライナでの戦争により、いまなお多くの人々が苦しんでいます。『仏説無量寿経』の中には「兵戈無用(ひょうがむよう)」とあり、これは「武力も兵力も必要がない」という意味の言葉です。地球の未来を担う子どもたちのためにも、「武器を捨てて、数珠を持ち、拝む心(敬い感謝する心)を大切にしてほしい」ということで、今回は子どもによる掲示板の作品を大賞に選ばせていただきました。
▪仏教伝道協会賞(3作品)
仏教伝道協会賞①
私は今 多くの死者の上に立っている
そのことを忘れてはいけない
受賞者(アカウント名):真宗大谷派本明寺@honmyouji271
撮影寺院:本明寺(真宗大谷派・東京都墨田区)
講評:私たちは、無数の死者のおかげでこの世に生を受けて、現在生活を送っています。ある調査によると、いままでの地球上の人間の死者数の累計は約1000億人ほどになるそうです。このような無数の死者の方々に対して感謝やつながりの気持ちを持ちながら、生活を送りたいものです。
仏教伝道協会賞②
毒言吐いたら 自分も浴びる
受賞者(アカウント名):myoukeiin_buddhastagram
撮影寺院:妙慶院(浄土宗・広島県広島市)
講評:インターネット上などで悪口を目にする機会が非常に増えています。お釈迦様は『スッタニパータ』の中で、「人が生まれたときには、実に口の中に斧が生じている。愚者は悪口を語って、 その斧によって自分を断つのである」とおっしゃっておられます。他者を傷つける言葉は、自分も傷つけることになります。くれぐれも気を付けたいものです。
仏教伝道協会賞③
修行がたらん
受賞者(アカウント名):紅楳聖@unsaiji
撮影寺院:雲西寺(浄土真宗本願寺派・大分県中津市)
講評:一見、「修行がたらん!」と叱られているようですが、左から読むと、「たらんが修行」。「いくらしても足りないのが修行だよ」というメッセージが隠されているようにも思えます。人生は修行に譬えられることがよくありますが、どんなに歳を重ねても人生(修行)の中で悩んだり、不満を感じることがあるのではないでしょうか。「修行が無用」と思われがちな浄土真宗のお寺に掲示されている点も興味深いところだと言えます。
▪中外日報賞
歯車1つ外れれば止まってしまう時計
私1人休んでも止まらない社会
だから私の役目は歯車じゃないんだな
受賞者(アカウント名):林鶯山 憶西院 超覺寺@chokakuji
撮影寺院:超覚寺(真宗大谷派・広島県広島市)
講評:「私1人休んでも止まらない社会」という言葉は、一般的にはネガティブな意味で使われるだろう。しかしここでは、だからこそ私は歯車として存在しているわけではないと、ポジティブな意味で用いられている。「時計の一部品である歯車」と「社会の中の人間」の対比で、人間という存在について考えさせてくれる。
▪仏教タイムス賞
かんしゃくのくの字をすてて 日をくらす
受賞者(アカウント名):la source de vie @1947_2016
撮影寺院:徳源院(臨済宗妙心寺派・東京都文京区)
講評:小学生低学年にも伝わるシンプルなメッセージ。でも大人になるとこれができにくい。かんしゃく(怒り)は欲から起きる。欲を抑えて今あることに感謝したい。伝道句集『風水泉』からの引用だが、句集も注目される。
▪文化時報賞
意地の上にも三年
受賞者(アカウント名):mskeibimanoken
撮影寺院:円成寺(臨済宗妙心寺派・島根県松江市)
講評:張ったり貫いたりする「意地」は元々仏教用語で、本来は意識や心という意味だそうです。だとすると、「意地の上にも一生」の方がよりふさわしいのでしょうが…そう書くわけにもいきませんよね。
▪寺社NOW賞
「おばあちゃんは、(おじいちゃんは)なにになりたいの?」(小学1年生からの問い)
受賞者(アカウント名):tooru.ikeda.1
撮影寺院:西恩寺(真宗大谷派・三重県桑名市)
講評:不意を突いた無邪気な子どもの問いに、まさか「骨になりたい」とか「風になりたい」などと誤魔化すわけにもいきません。さて何と答えたものか、思わず山門をくぐってお坊さんとお話をしてみたくなります。お寺の掲示板は、お寺と地域の会話を促すコミュニケーションの装置でもあったんですね!
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