道を弘(ひろ)むるは人に在り
国宝とは何物ぞ。
宝とは道心(どうしん)なり
道心ある人を名づけて国宝となす
己を忘れて他を利するのは慈悲の極みなり
伏して願わくは、解脱の味、独り飲まず
一切の有情は皆、悉(ことごと)く成仏し、
一として成仏せざることなし
伝教大師最澄『山家学生式(さんげがくしょうしき)』の言葉だ。
「国宝とは、道心を持った〝人〟」であると言う。
伝教大師最澄は『法華経』を基調とする日本天台宗を開くにあたり、人々を幸せへと導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いを著述し、嵯峨天皇に提出した。
自分の持てるチカラを発揮して、一隅を照らす人になる。そういった〝人〟こそが国の宝であり、明るい社会をつくるのだと。それが伝教大師最澄の教えであり、また願いでもあった。
伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」は、1200年の時を越え、伝教大師最澄の願いと共に、東京・九州・京都と巡回する。
山家学生式(さんげがくしょうしき)
国の宝とは何物(なにもの)ぞ、宝とは道心(どうしん)なり。道心ある人を名づけて国宝と為(な)す。故(ゆえ)に古人(こじん)言わく、径寸十枚(けいすんじゅうまい)、是(こ)れ国宝にあらず、一隅(いちぐう)を照(てら)す、此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なりと。古哲(こてつ)また云(い)わく、能(よ)く言いて行うこと能(あた)わざるは国の師なり、能く行いて言うこと能わざるは国の用(ゆう)なり、能く行い能く言うは国の宝なり。三品(さんぼん)の内(うち)、唯(ただ)言うこと能わず、行うこと能わざるを国の賊(ぞく)と為す。乃(すなわ)ち道心あるの仏子(ぶっし)、西には菩薩(ぼさつ)と称し、東には君子(くんし)と号す。悪事(あくじ)を己(おのれ)に向(むか)え、好事(こうじ)を他に与え、己(おのれ)を忘れて他を利(り)するは、慈悲(じひ)の極(きわ)みなり。
※天台宗HPより