「禅」フィルターでジブリ映画の魅力再発見!『禅の言葉とジブリ』著者が読み解く映画のメッセージ

誰しもが心の中に、かけがえのない大切なジブリ作品を持っている。あるときは生きる活力となり、またあるときは癒やしにもなる。人生の節々でジブリを見返すという人も少なくないだろう。そんなジブリファンの一人に、禅宗の若き僧侶がいてもおかしくはない。
東京・世田谷にある大澤山龍雲寺(臨済宗妙心寺派)の細川晋輔住職、42歳。ご多分に漏れず、幼い頃からジブリで育ち、『もののけ姫』の公開時には、生まれて初めて日を置かずして映画館に2度通った。
その細川師が、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーとご縁があって、ジブリの機関誌『熱風』で連載をすることになった。それを機に改めてジブリの作品を一本ずつ、「禅」というフィルターを通して見直し、そこから伝わってくるメッセージを読み取ろうと試みた。

徳間書店刊『禅の言葉とジブリ』は、そんな挑戦的な連載に加筆・修正をし、さらに対談を加えたものである。今回は、ジブリ映画の中でも人気の高い3作品について、細川流の「禅フィルター」を通して語っていただいた。

細川師がジブリ映画のなかに感じた「禅」とは!?

臨済宗妙心寺派龍雲寺の細川晋輔住職

『もののけ姫』で知った、共に生きていくこと

© 1997 Studio Ghibli・ND

—著書では、アシタカを達磨大師の逸話と重ねられています

達磨大師と梁の武帝との禅話ですが、武帝が目の前にいる達磨大師に「私の前にいるお前は何者か」と尋ねたところ、達磨はひとこと「そんなもの、しらない」と答えます。この話に似たシーンが『もののけ姫』のクライマックスに出てくるのです。山犬のモロが主人公のアシタカに「お前にサンが救えるか?」と問いただします。普通の主人公なら「できる」と言うでしょう。しかしアシタカは「わからぬ」と答える。このシーンにとてもメッセージ性を感じました。
できる、できないという対立する2極から離れ、「わからない」という結論を出すアシタカ。続いて「だが、共に生きることはできる」と答えます。
一方、私たちの暮らしを見てみると、私たちが明日目を覚ますことができるかどうか、実は誰にもわかりません。明日があるかどうかは誰にもわからないのです。だからこそ、今を真剣に生きよう、と思えるのではないでしょうか。
これが、『もののけ姫』に込められたメッセージなのでしょう。

あるがままを感じる心を『となりのトトロ』からいただいた

© 1988 Studio Ghibli

—トトロという存在は、本当の自分の心だと書かれています

「となりのトトロ」は一見、昭和30年代ののどかな風景に懐かしさを感じられる映画です。その中で私が感じたのは、探し回って見つからない大切なものは、実はすぐ近くにあるということです。自分の思い込みが真実を見えなくしているだけで、純粋な心を持つことができれば、そのことに気づくことができるのです。
入院しているお母さんのところへトウモロコシを届けに行くため、メイちゃんは迷子になりました。そこでお母さんはトウモロコシを見つけ、窓の外にメイちゃんたちの気配を感じるのです。お母さんには心の純粋さが残っていたのです。著書では、「只在此山中 雲深不知処」という禅語を紹介しています。いろいろ試して、探して、経験を積み、そのうえで大切なことは身近にあったということに気がついてホッとする。それこそが禅の真理であると私は感じていてます。

『千と千尋の神隠し』で千尋が歩いて現実世界へ戻ったトンネルは、禅寺の玄関のよう

© 2001 Studio Ghibli・NDDTM

—千尋の異世界での体験を、ご自身の禅体験と結びつけられています

千尋がお母さんの手を握ってトンネルを歩いて行ったように、私も大学卒業後、修行のために禅寺の門をくぐりました。
千尋はトンネルの向こうの世界でいろいろなことを体験するのですが、そのことを臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師の言葉「随所作主 立処皆真」で表現しました。この語は「いついかなる場で何をするにも、周囲の環境に流されることなく主体性を持つこと」を説いている言葉です。
トンネルから出てきた千尋は足取りも、目の輝きも以前とは違っていました。それは主人公の成長の証しにほかなりません。
同じように、禅寺の門をくぐった若き僧侶は、修行の中で「生きる力」と出会うのです。確かに何か手に持ち帰ってくるわけではありません。それでも、その先に見える景色は、何気ない日常が鮮やかに感じられるのです。
私たちが取り組んだ修行や坐禅の時間は、千尋の異世界での時間と同じなのではないか、と感じたのです。

人生は生きるに値する
—最後に、細川師にとってジブリ映画とは?

これまでお話ししたように、ジブリ映画には随所に禅の言葉や逸話で表現できるシーンがあります。膨大な時間の物語を約2時間という枠の中に収めているジブリ映画は、よけいなものをとにかくそぎ落として、どのセリフもいろいろな人に届くように作られていると感じています。どのシーンやセリフも、すべてに意味がある。これはまさに、膨大な字数を262字に集約した般若心経と一緒であると思います。どれか1字も取ることができないし、どこかに1字を足すこともできません。
そして映画の根底には、「人間は生きるに値する」という大いなるメッセージが込められていると思うのです。
ジブリ映画を禅フィルターを通して見ることは、物語の中から何かの「せい」を探すことではなく、「おかげ」を探していく行為でもありました。身のまわりに起こる出来事の「せい」にするか、その「おかげ」にするか、それを決めるのは自分自身しかいません。
禅は何か新しい発見を目指すものではなく、少し立ち止まって、見過ごしていたものに“気づく”教えなのです。

 


「禅の言葉とジブリ」

出版社 : 徳間書店
著者:細川晋輔
発売日 : 2020/10/30
定価:1,760円

 

 


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監修:全国寺社観光協会

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