人生の岐路で気づいた「昔のように、ふるさとの白川で遊びたい」という心の声
宮司である辻さんの父親(高齢のため現在は実務から引退)は、教師として働きながら、休みの日に神事をこなしていた。社家ではあるが、お参りをする機会がたまにある程度の、むらの鎮守であった。
両親は跡継ぎとして彼女の弟を考えていたが、本人は別の道への関心が強かったため、國崎八幡神社は父親の代で社家としては区切りをつけ、神事はほかの神社に任せするつもりだった。
彼女は彼女で、大学進学をきっかけに地元を離れ、憧れの東京暮らしを始めた。そのまま華やかな大都会、東京で就職・結婚・出産という大きなライフイベントを次々と迎えることになる。そして、離婚の決断もした。
前夫と別々の道を歩むと決め、今後の人生、そして自分の正直な気持ちと向き合った。そして気が付いた。「ふるさとの白川に戻って、広い空と緑のなかで子どものころのように遊びたい」という心の声に。
「いつかは地元に帰りたいという想いは、大学生の頃からありました。東京は楽しみがたくさんあって、刺激をもらえる大好きな場所です。でも、どこにでも人がいて心が落ち着かず、息苦しさを感じる瞬間もありました。
それが白川に帰ると、ホッとする。誰もいない道に立って、一面に広がる田んぼと周囲を囲む山々を眺めていると、なぜか安心するんですよね。私には、東京にずっと住み続けるのは合わないのだと思いました」
「そんな感覚をもちながらも、家族の生活があったので、帰ることはまったく考えていませんでした。でも、離婚を機に生活が大きく変わる今なら、白川に帰る選択もできる。なにより、白川に帰って、白川の自然のなかで遊びたいと、心の奥底で強く願っている。そのことに気づいて、すぐに帰郷の準備を始めたんです」
鎮守の杜で育った幼い頃から、自然と神道には親しんでいた。ふるさとの神社にいる自分の姿が目に浮かんだ。
そこで、まずは両親や兄弟一人ひとりに連絡し、神社を継ぎたい旨を伝えた。みんな驚きはしたものの、応援してくれた。宮司である父親は、彼女がその思いを伝えたすぐ翌日には、別の大きな神社の宮司に継承について相談もしてくれた。
「父は口数の少ないタイプで本心がわかりにくいのですが、そうやってすぐに行動を起こしてくれたところを見ると、私の決断を歓迎してくれたのかなと……」
やがて東京で、国学院大学の神職養成講習を受けて資格を取得し、いよいよ地元に帰る準備が整った。
「白川は、まっさらな自分、子供の頃の自分に戻れる大切な場所。ほかの誰でもない私自身のためにも、白川を守っていく。そして、白川で遊びつくす! そんな決意をもって地元へ帰りました」