第3章:大安寺釈迦如来像をめぐる世界
第3章「大安寺釈迦如来像をめぐる世界」では、かつて大安寺の御本尊で今は現存しない「大安寺釈迦」についての展示がされています。大安寺釈迦は、天智天皇の発願により造られたとされ、丈六(約4.85メートル)もの大きな乾漆造の仏像だっだようです。
「傑作とされる薬師寺の薬師三尊像と並ぶか、それ以上の素晴らしさだ」と平安時代の貴族の大江親道の『七大寺日記』に書かれており、日本随一の理想的な釈迦像とされていました。
本展では、大安寺釈迦が、いったいどんな姿だったのかを想像させるために、大安寺釈迦が作られた当時の文字資料や図像や絵画、塼仏(せんぶつ、仏の姿をレリーフ状にあらわした板状の焼き物)などが展示されています。
残念ながら今は見ることが叶いませんが、上の画像にある大型多尊塼仏などからすると、きっと肉付きのいいおからだで、柔らかな衣をまとった美しいお姿であっただろうと想像されます。
第4章:大安寺をめぐる人々と信仰
国宝「勤操僧正像」(和歌山・普門院)
かつてはおよそ1000人ものお坊さんがあつまったとされる大安寺。第4章「大安寺をめぐる人々と信仰」では、大安寺にかかわりのあるお坊さんの絵画や像が展示されています。
私の大好きな弘法大師空海の絵も展示されています。空海は大安寺で、師である勤操(ごんぞう)から記憶力を高める修法「虚空蔵求聞持法(こくうぞう・ぐもんじほう)」を授けされたとされています。
その勤操の絵もありました。もっと野性味溢れるお坊さんを想像していたのですが、絵の中の勤操は、もの静かな老僧のようにも見え、私的には大発見です。
虚空蔵菩薩坐像(文化庁、奈良・北僧坊)
■虚空蔵菩薩坐像(画像左:文化庁)
虚空蔵求聞持法(こくうぞう・ぐもんじほう)の本尊である虚空蔵菩薩坐像が2体展示されています。
現在文化庁が所蔵している虚空蔵菩薩坐像は、もともとは大和郡山市の南部に建つ聖徳太子ゆかりのお寺、額安寺(かくあんじ)にあったもの。聖徳太子が建立した道場、熊凝精舎(くまごり・しょうじゃ)の跡地と言われています。熊凝精舎は場所や名前を変え、後に大安寺になったとされます。熊凝精舎→百済大寺(くだらおおでら)→高市大寺(たけちだいじ)→大安寺という変遷になります。その額安寺に祀られていた虚空蔵菩薩坐像ということになります。
■虚空蔵菩薩坐像(奈良・北僧坊)
奈良県大和郡山市にある矢田寺(やたでら)の塔頭・北僧坊の虚空蔵菩薩坐像は、額安寺のお像とポーズが似ています。ちなみに虚空蔵求聞持法では、仏像ではなく絵を本尊とされたことが多かったようです。
宝誌和尚立像(京都・西往寺)
京都国立博物館に委託されている西往寺(さいおうじ)のまるで昆虫が脱皮するように顔からまた顔が出ている宝誌和尚(ほうし・わじょう)立像も展示されています。かつて、大安寺にも同じような宝誌和尚立像があったことからの展示です。
仏像の表面は、彫ったノミの跡をわざと残してある鉈彫(なたぼり)で、霊木からほとけが姿を現す様子を表現しているようです。
宝誌和尚は、中国の南北朝時代に実在したお坊さんで、予言や分身など不思議な力を持っていたとされています。皇帝の武帝が、絵師に宝誌和尚の肖像を描くよう命じると、宝誌和尚は指で自分の顔の皮を裂き、顔の中から十一面観音が現れたとの逸話が伝わっています。お顔を見ればわかるように、宝誌和尚立像は、まさにその様子を表したお像です。