対馬は、玄界灘に浮かぶ国境の島。地理的に古くから朝鮮半島とのゆかりも深い。教科書でおなじみの外交使節団「朝鮮通信使」を、毎回最初に迎え入れ、もてなしたのがこの対馬であり、幕府は禅宗寺院「以酊庵(いていあん)」に当代一級の文化人でもある外交僧を駐在させ、その任に当たらせた。歴史的宿坊ともいえる以酊庵はかつて、今回ご紹介する対馬西山寺(せいざんじ/臨済宗南禅寺派)の一角に所在していたという。時は流れて今、この寺院は、地域振興の拠点となる離島の宿坊として注目されている。
▪地域観光の拠点として「寺とまち」をつなぐ
かつて歴史的現場ともなった対馬西山寺は、第2次大戦後に先々代が下宿を営んでいた。やがて先代が、世界的なブームにもなっていたユースホステルに業態を転換したのは1973年(昭和48)のこと。そして2002年(平成14)、田中節竜(せつりょう)現住職が修行から戻ったのを期に、宿泊施設を増改築し、ユースホステルから「宿坊」へと舵を切った。
それは、変わりゆく旅のスタイルに対応するためであり、また同時に、人口減少社会に突入している離島にあって、「寺院を次世代に残していくため」の選択でもあった。
「〝宿坊〟にしたことで、利用者の数はじわじわと増えてきました。なかでも最近は韓国から女子旅で訪れる方も多くなっています」(田中住職)
宿坊対馬西山寺がある厳原(いづはら)は、歴史的な遺産や風景が今もそこかしこに残されている。朝鮮通信使を迎えた厳原港は、博多と釜山からの高速船が発着し、韓国からの訪問者も多い。コロナ禍以前は、宿泊ゲストの4割以上を韓国人女性客が占めていたほどだ。
2015年(平成27)に「国境の島 壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~」が、日本遺産第1号として認定され、さらに2017年(平成29)に、「朝鮮通信使に関する記録―17世紀〜19世紀の日韓間の平和構築と文化交流の歴史」としてユネスコの世界記憶遺産に登録されたことも追い風となった。国内でも対馬への関心が高まり、九州はもとより関西やはるばる関東からも、この離島をめざして多くの人が訪れるようになった。
西山寺はそんな対馬にあって、ゲストを日帰りにさせず、島内に滞在してもらうための重要な拠点としての役割を果たしている。