寺院会計と家計を分離
〜宿泊業のインカムで過疎地でも寺院を護持〜
1つ目のポイントは、寺院経営の会計と寺族の家計をしっかりと分けることにある。
慈眼院が立地する伊豆・河津町は、半世紀以上も前から過疎化が進行し、檀家は減少の一途、世帯収入も著しく低い。稲本氏の父(現住職)を含む5人の子どもを抱えていた祖父母は、「檀家さんも苦しい。お寺の運営費に加えてうちの子ども5人の教育費も出してくれなんて、とてもじゃないけど頼めない……」と苦悩の日々だった。布施など檀家頼みの生活には、限界を感じていた。
まず、祖母が動いた。
慈眼院の境内にユースホステルを起業したのだ。
行事や催事など純粋に寺院活動に関わる部分は引き続き檀家の布施を頼みにしつつ、寺族の生活費は宿泊業で稼ぐ方向に転換した。
そしてそのユースホステルを、稲本氏の両親である現住職夫妻が継承した。収益は、家族の生活のために留まらず、寺院の堂宇や庫裡、境内の修繕などにも活用し、檀家減少が進行する状況でも何とか自坊を支えるためにと尽力した。
この段階ではまだ、寺院経営と家計は分離していなかった。
その後、ユースホステルの経営に疲れ果てた両親は、温泉を掘って隠居生活を考えた。当時、地元信用金庫に勤務し、幹部候補生だった稲本氏は、寺院を存続させるためにその温泉を活用することを考えた。そして、禅寺の宿坊であることも表現している「禅の湯」としてリニューアルオープンさせ、施設の運営を買って出た。過疎地における持続可能な経営を実現するために。
それまでに数多くの会社の浮き沈みを間近で目撃してきた。会社経営のための会計と家族の生活のための家計を分けずに、どんぶり勘定の個人経営の同族会社が次第に立ちゆかなくなっていくケースを、嫌というほど見てきた。
そうした金融マンとしての体験から、経営者となった彼女は、寺院の経営と家族の生活を支えるための宿泊業を明確に分けることにした。そのために事業会社を設立し、彼女が経営することになった宿坊「禅の湯」は、父親が住職を務める慈眼院と賃貸借契約を結ぶことになる。
「寺院の境内で宿をやらせてもらう」という大家と店子の関係だ。
当たり前のことだが、赤字だろうが何だろうが、売上から月々の家賃を寺院に支払う。なあなあの経営は許されない。寺院側からすると、月々固定の収入が確保され、檀家の布施だけに頼らずとも寺院を護持していく可能性が開ける。
こうして慈眼院と禅の湯は、「檀家の布施を前提」とする従来の寺院の運営形態から脱却し、少子高齢化や過疎化など社会の変化に適応すべく、「寺族が稼いで自坊を支える」態勢にシフトチェンジした。