「育する」のヒミツ
〜禅の湯式!選ばれるコンセプトのつくり方〜
2つ目のポイントは、独自のコンセプト設定である。
これにより他所との差別化が実現し、また働くモチベーションが生じる。
禅の湯の経営にあたっては、「育する」というオリジナルのコンセプトを採用した。
すべてのスタッフの、すべての業務は、この「育する」を基準に行われる。
たとえば、宿泊客に提供する食事のメニューにしても、「何を育する?」と考える。地域を育するため、つまり地場産業をより発展させていくために、ゲストに提供する食事メニューを地域目線で真摯に考える。
もちろん正解はない。しかしブレない問いはある。
その一つの解として、宿坊スタッフも生産に関わっている河津町の特産品、山葵(ワサビ)を活かした新メニュー「生わさび丼」にたどり着いた。
土地の潜在能力とそこに関わる人をも育する。あらゆるもののより良い成長を重視する、それが禅の湯の基本理念「育する」である。とってつけたような上滑りのマーケティング的なコンセプトではなく、地に足をどっしりとつけた理念に立脚した宿づくりは、顧客を惹きつける大きな魅力ともなっている。
この「育する」の始まりは、稲本さん自身の苦悩にあった。
彼女は、宿坊経営に乗り出す以前、結婚して子どもを育てながら、信用金庫に勤めており、公私共にその生活を楽しんでいた。そこに、母の過労による事故や、兄弟が寺を継ぐ意思がなかったことなど、「自分が継がざるをえない」状況が押し寄せる。
幼い頃から両親が寝る時間も削って必死に働く姿を見て育ったため、「宿泊業はやりたくない」「会社員を辞めたくない」と思っていた。しかし一方で、「商売を継がないということは、親と縁を切るようなもの」といった考えもよぎる。悩み抜いた末に寺院存続のために会社を退職し、業として宿坊の経営に乗り出す決断をした。
ところが、宿坊の経営に着手してはみたものの、「この仕事から逃げたい」という気持ちが生じてくる。やらされ感に苦しむことになる。「お金を稼いで、貯金して、いったい何になるのか」と。
このままでは続けていくことはできない。経済的な理由だけではない、宿の運営に意義を生み出す必要がある。「逃げたい」気持ちを克服するには、明確な理念が必要だと感じた。
それだけではない。宿泊業激戦区の伊豆ではユーザーが禅の湯を積極的に選ぶ理由が乏しかった。他の宿とは違う、禅の湯ならではの魅力を打ち出す必要にも迫られた。
あがき、もがき、苦しみ、自問自答した。
辿り着いたのは、「自分がどう生きたいか」だった。
「自分がどう生きたいか」を軸にする。
いちばんやりたいこと、それは……逃げたかったはずの宿坊の経営だった。
ただしそれは、単なる経済的な理由からの消極的な経営ではなく、自分自身の生き方としての、積極的な選択としての宿坊経営だった。
「私もかつての母のように、宿で稼ぎ、自分の背中を見せて子どもを育てたい」と。
経営のコンセプトは、苦悩を乗り越えた身体の奥底から、魂の叫びのごとく、揺るぎない確かなものとして浮かび上がってきた。