お坊さんが仕掛け人!博多の商店街がSDGsな「リトルアジアマーケット」に大変身!その訳とは…!?

開眼法要当日、吉塚の街を練り歩くアジア各国の人々。中央紫の法衣が安武義修住職

寺社Now編集部に、ある日、情報が飛び込んできた。
九州の玄関口・福岡県福岡市博多区にある昭和レトロな「吉塚商店街」が、2021年3月、アジアを感じられる「吉塚市場リトルアジアマーケット」に生まれ変わったのだが、その仕掛け人が、地元のお坊さんだという。
商店街の一角には異国の仏像が安置されたお堂があり、市場のリニューアルオープン時には、オープニングイベントとして開眼法要が行われた。アーケードの狭い路地に、こぢんまりとした古い店舗が建ち並ぶ下町風情の商店街に、いったいなぜ異国の仏像があるのか。そもそも、なぜ商店街全体が「リトルアジアマーケット」に衣替えをしたのか。
現地を訪れて探ってみると、その背景には、異国の地で暮らす外国人留学生や労働者の「孤立を解消したい」「地域の人と外国人が笑い合える場所を創りたい」と願い奮闘する、一人の若き僧侶の熱い思いがあった。

2021年3月13日、開眼法要当日の朝10時に、日本の僧侶とミャンマーの僧侶、さらに正装したアジア各国の人たちが列をなし、吉塚市場リトルアジアマーケット(旧称 吉塚商店街)を練り歩いた。この町で初めて見るその列の中心にいたのが、商店街のすぐ南側にある西林寺(浄土真宗本願寺派)の安武義修(よしのぶ)住職(45歳)。リトルアジアマーケットを実現した立役者のひとりであり、アジアの仏像が安置された御堂の代表世話人でもある。

ぶらり訪れた国で触れた、アジアの現実

西林寺は江戸初期の開基から350年近い名刹。安武住職は第16世として寺を守り、地域ともつながり続けている。彼の信念は、「布教活動や先祖供養の場としてだけでなく、出会いや地域活動の場、娯楽の場、世界の諸問題や貧困について考える場として、新たな寺院の役割を目指したい」というもの。

住職は20代の頃、ふらりと一人で世界各地を歴訪する旅に出た。その後半に偶然訪れたカンボジアで、今につながる社会貢献のきっかけと出合う。

「よくみると顔は日本人とそんなに変わらない。しかしなぜあらゆる文化がこんなに日本と違うのか、という素朴な疑問が湧いてきました。そこでカンボジアの歴史をいろいろ調べたのですが、過去に内戦があり、1976年には大変痛ましい惨劇が起こっていたことも初めて知りました」

1976年は、奇しくも住職が生まれた年でもある。

「私がたくさんの方々から祝福を受けて誕生したその同じ年に、カンボジアでは多くの方が亡くなられていた。カンボジアを訪れたことでこの事実を知り、それが自分自身の誕生年とも関連している。そこにただならぬご縁を感じ、この国に少しでも何かお手伝いができないものだろうかと考えたのです」

世界各国を旅する中で、たくさんの人に助けられた。その一人ひとりにお礼を言いに行くことはできないが、受けた恩を別のところで返す「恩送り」ならできる、とも思った。

当時西林寺では、お賽銭をユニセフに寄付する活動を行っていた。これはこれですばらしいことだと感じていたが、心のどこかで、大切な浄財が何に使われているのかはわからない、という気持ちも抱えていた。そこで、その一部をカンボジアの学校支援に充てることにした。

以来、西林寺では平成20年(2008)から一貫してカンボジアへの支援活動を続けている。キャンドルナイトのイベントもスタートさせ、そこで上がった収益から必要経費を引いた全額を、カンボジアでの学校支援にとどまらず井戸の建設や維持のために、さらに、首都プノンペン郊外の旧ゴミ山地域の学校支援にも充てることにした。

国により仕様の異なる仏さま。そこに、親しめない人がいた

あるとき、お寺にやってきた近くに住むカンボジア人やタイ人、ベトナム人から、「この街は私たちを受け入れてくれています。しかし、私たちが仏さまに手を合わせる場所がありません」と悩みを打ち明けられた。

「いやいや、福岡は全国でも有数のお寺が多い街だから、仏さまはいくらでもいるよ、と返したのです。ところが彼らは、それらはあくまで日本仕様の仏さまで、できることなら私たちが慣れ親しんだ仏さまに心を込めて手を合わたい、と」

福岡県庁の最寄り駅であるJR吉塚駅からほど近い現地は、外国人居住者が多い街でもあり、キャンドルナイトの影響もあってか、西林寺にもさまざまな国の人が顔をのぞかせるようになっていた。そのため住職は、寺が国際交流の場になってきたと感じていた。しかしまだこのときは、手を合わせる人の「心」まで考えていなかったことに気付いていなかった。

市場のシャッターには、子供たちと外国人留学生が描いたカラフルな花の絵が並ぶ

西林寺では、キャンドルナイトとは別に地域の子どもたちを対象にした「こどもキャンドルナイト」も毎年実施している。

令和元年(2019)にはお寺を飛び出し、商店街を巻きこんだ「吉塚商店街・景観再生プロジェクト」の一環として、商店街のシャッターに子供たちと絵を描いて街を明るくするという活動を展開。寺で支援しているカンボジアの小学校で描いてもらった絵をシャッターに大きく模写し、そのまわりに地元吉塚の子供たちが絵を描いて完成させるというワークショップである。

気が付くと近くの語学学校へ通う外国人留学生も積極的に参加して手伝ってくれるようになり、いつの間にか、商店街の人たちと留学生との距離が縮まっていった。

「この頃の吉塚商店街は、どんどん店が減っていき、シャッターや空き地が増えていました。かつて賑やかだった時代を知っている者としては、ものすごく寂しいですし、それに防犯上もいいことはありません。そんなときに、ワークショップで商店街の人たちと触れあう外国人の姿を見ていて、増え続ける外国人と商店街が手を取り合っていければ、吉塚商店街はこれからも生き続けることができるのではないか、と考えたのです」

しかし、これだけで彼らの居場所をつくることができるのだろうか?

安武住職は、心のどこかにそんな漠然としたモヤモヤを抱えたままでいた。そうしたある日、住職の何気ないひと言で、さびれゆく吉塚商店街が再生へ向けて動き出すことに—。

マーケットリサーチ。そしてチャレンジ!

それは2019 年11月、西林寺の安武住職が吉塚商店街の連合組合会長(鶏肉卸売や地元で外食事業を展開しているトリゼンフーズ株式会社の河津善博会長 宅を法事で訪問したときのこと。

その席で商店街活性化の話題になり、住職は、外国人を呼び込むことが商店街の未来につながるのではないかと、切々とその思いを吐露し、提言した。会長自身も以前よりミャンマー支援を行っていた背景があり、意気投合。そこに、偶然別の角度で外国人居住者の課題解決を通して吉塚の可能性を探っていたシーアンドイー株式会社・魚住昌彦氏が加わり、活性化へ向けた話し合いがスタートした。

「調べてみると、吉塚には外国人向けの専門学校が4校もあり、生徒数は全校でおよそ900人。そのほか、商店街の最寄り駅から工場などへ送迎バスが出ているため、外国人の技能実習生が数多く居住していることもわかりました。ところが彼らは、工場と自宅、学校を行き来するだけの生活を送っていて、地域の日本人との交流がほとんどなく、日本にいながら“生きた日本語”に触れる機会がないこともわかったのです」

そこで、衰退著しい吉塚商店街を、アジアの人たちに注目した再生プランによって活性化することを目標に据えた。そうすることで技能実習生や語学留学生も集うことができ、彼らの同郷の人たちの輪もできる。

チームは、アジアの玄関口ともいえる福岡という土地柄を活かしたそんな異国間交流型の「吉塚市場 リトルアジアマーケット」の事業計画をまとめ、経済産業省「令和2年度 商店街活性化・観光消費創出事業」での採択をめざしてチャレンジすることを決意。眠っていた商店街が動き出した。

メンバーには商店街会長をはじめ、現場でたたき上げられてきたビジネスのプロフェッショナルたちがいる。偶然にもコアメンバーが同じ時期に同じ事を考えていたから動き出せたとはいえ、これまで商売とは無縁だった寺の住職が、そうしたチームに加わることにプレッシャーはなかったのか。

「平成20年(2008)から続けている西林寺のキャンドルナイトライブでは、クリエイターなど多彩なメンバーに集まっていただいています。10年以上にわたって異業種のみなさんに揉まれることで、お寺の経営だけでは学べないさまざまなノウハウや体験を蓄積することができたと思います。ブレないコンセプトと信念があれば、共感が広がっていくことを何度も実感しています。こうして得た知見を応用して社会に貢献する、それが私にとってはリトルアジアマーケットのプロジェクトだったんです。もちろんプレッシャーが全然なかったわけではありません。でも、そんなプレッシャーよりも、外国の方々や地域のために何ができるのか、何かしなければという思いが勝ったんです」

思いは通じた。令和2年9月、チームの知恵が凝縮した吉塚商店街の「リトルアジアマーケット」化計画は、経産省が公募した事業での採択が決定。吉塚の未来を占うプロジェクトが、いよいよ実現へ向けて歩き始めた。

異国の仏像を発注したワケ

プロジェクトが急ピッチで進行し始めたある日、安武住職は、商店街の河津会長との何気ない会話の中で、ふと思いついたアイデアを提案した。
「アジアからお釈迦様を招いたらどうでしょう」

しかしながら、決して唐突な提案ではない。というのは、会長が経営する佐賀にある唐津工場で働くベトナム人従業員が、わざわざ福岡・篠栗の南蔵院まで毎月参詣していること、さらにミャンマー出身の人たちにいたっては、遠路はるばる北九州市門司区にある寺院にまで足を運んでいることを知ったからである。

それだけではない。寺主催のキャンドルナイトライブに係わった、近所に住む外国人留学生たちから、「この街には、私たちが仏さまに手を合わせる場所がない」と悩みを打ち明けられて以来、自分に何ができるのかをずっと悩み考え続けていたことが、アジアの人たちのリアルな実態を知ることによってひとつの答えに結実したのである。

「吉塚御堂」と名付けられたお堂の中に輝くミャンマーの仏像。「思いつきの提案がこんな凄いことに(笑)」と安武住職

「熱心な仏教徒の国の人たちにとって、ほとけ様にお参りすることはそれほどにまで重要なことなのだとあらためて実感しました。それならば、彼らが手を合わせることができるお釈迦様を商店街にお迎えすることができると、そのことをきっかけにもっと商店街を訪れてくれるようになるにちがいない。商店街が賑やかになるはずだと考えたのです」

しかし、アジア各国からさまざまな国の人たちが来て暮らしているなかで、いったいどの国のお釈迦様をお迎えすれば納得してもらえるのか。ひと口にアジアの仏像といっても、姿形や表情など微妙に異なる。確たる理由もなく、あるひとつの国の仏像に決めてしまっては、その他の国の人たちは心を込めることができず、結局自分たちの祈りの場はないのだと思うだろう。

そこで住職が思い出したのは、福岡市がミャンマーのヤンゴン市と姉妹都市であるということ。誰かが勝手に決めるわけではない。福岡とアジアの関係に基づくシンボルとして、ミャンマーからお釈迦様をお迎えすれば、きっと納得してくれだろうという考えである。

この時点で2020年の11月。商店街再生プロジェクトのひとまずの目標は、アジアをテーマにした「吉塚市場 リトルアジアマーケット」を2021年3月にグランドオープンさせることである。そのシンボルとなる仏像をミャンマーに発注する。時間は限られている。住職の思いを聞いた会長は即決し、新しい商店街のシンボルになる仏像を、すぐにミャンマーに発注したのだった。

それから3カ月とちょっと。多くの人の協力があって、ミャンマーからお釈迦様が来福した。「吉塚市場 リトルアジアマーケット」のグランドオープンに、かろうじてなんとか無事間に合った。一人の僧侶をきっかけとする地域の思いと祈りが実ろうとしていた。

地域をつなぐ秘訣は、辛抱強い「傾聴」にあり

話は少し遡るが、実は商店街の再生を成功させるには、もうひとつ課題を解決する必要があった。

吉塚商店街の南側に位置する西林寺とは反対方向、北側の商店街入口には、地域の人たちが長年守り続けてきた地蔵尊がある。しかし、商店街の賑わいが次第に減っていくなかで、いつしか地元商店街関係者と地蔵尊を守る地域の人たちとの日常の会話も減り、関係がどことなくギクシャクしていた。

しかし、アジアの人たちの居場所を創ることも目的としているプロジェクトを成功させるにあたって、商店街とその周辺地域に暮らす日本人コミュニティーが分断されていては、誰にとっても決して居心地のいい空間にはなりようもない。商店街関係者だけが盛り上がっていても成功はしない。

ここで、寺の住職という存在が力を発揮した。安武住職は、どちらの声にも丁寧にじっくり耳を傾けることにしたのだ。
「まずは双方の意見をじっくり聞く。つまり傾聴です。何度も何度も通って、みなさんの意見をしっかり聞いて、ご納得いただいたうえでプロジェクトを進めていったんです。私のような第三者の人間が、俯瞰した立場で諸問題の本質を冷静に見ることができたこと、そして住職という立場だったからこそ、まわりのみなさんも私の話に耳を傾けてくださったと思います」と安武住職は振り返る。

「お坊さんが話を聞いてくれたという安心感がみなさんにはあったようです。ビジネス主体の方ではなく、僧侶が間に入ることで、地域の人たちが商店街を自分事に感じてくれて、結果として活性化に向けてひとつの輪になれた気がしています」

吉塚地蔵尊側の入口。横にはベトナム食材店も出店した

かくして2021年3月13日、「吉塚市場 リトルアジアマーケット」は、ミャンマーからお迎えしたお釈迦様が見守るなかで、めでたくグランドオープンした。

安武住職の発案で実現した開眼行列では、先頭の僧侶に続いて、アジア各国の人たちが、友好のシンボルとして仏旗を振りながら歩いた。衰退する地域や商店街の新しい活性化の方策をフォローしようと地元メディアも数多く取材にやってきた。地元民と外国人労働者や留学生が共に協力して街を活性化させようという取り組みに注目が集まった。

開眼行列につづく開眼法要では、安住住職のほかにも駆けつけた日本の僧侶とミャンマーの僧侶たちが並んで法要を執り行った。新たに誕生したリトルアジアマーケットに、地元福岡だけでなく、九州全域からアジア系の外国人居住者が集まった。

静かな市場周辺が、多国籍な大行列に!

アジアのために、地域のために何かをしたいと願い、悩み続けていた一人の僧侶が、仏教徒である外国人留学生の「手を合わせる場所がない」という小さなつぶやきを大きな動きに変えるきっかけをつくったといえるだろう。

開眼法要の様子。安武住職をはじめ、参列した僧侶が法要を執り行った

合い言葉は「困ったときの住職さん」

もちろん、街の活性化は、「吉塚市場 リトルアジアマーケット」のグランドオープンがゴールではない。

「西林寺で私が続けているカンボジアへの支援を通じて学んだのですが、何ごとも、継続することの重要性を実感しています。今回のプロジェクトでは、吉塚に暮らす外国人の思い、商店街の人たちの気持ちにしっかりと耳を傾け、それをプロジェクトにどう反映すればみなさんが安心できるのかを考え続けました。それはこれからも変わりません。大切なのは傾聴です。そこから得たヒントを、ご協力いただける方々の力で創造性に変え、商店街の未来につなげていきたいと考えています」

商店街に鎮座する釈迦像を安置した御堂は、安武住職が代表世話人になった。プロジェクトの実施にあたって寺を飛び出し、東奔西走していたこともあって、いつの間にか商店街や近隣の人たちからは「困ったときの住職さん」と言われるようになった。

「ありがたいことです。素直に褒め言葉だと受け止めています(笑)国籍の別なく、この地に集う人たちのことを真摯に考え続けること、それこそが、私の役割なのですから」

リトルアジアマーケットに出店した飲食店では、外国人留学生が楽しそうに食事をする姿も

旧吉塚商店街が「吉塚市場 リトルアジアマーケット」となって生まれ変わり、新たな歩みを始めてひと月。もっと賑やかにという思いが地域の人たちに芽生え始めている。「もっとこうしたらいいのでは?」「こんなことはできないだろうか?」といった声が、安武住職のもとへ届くようになってきた。国籍は関係ない。地域に暮らす人みんなが安心して、楽しく過ごすことができるように、これからもできるだけ多くの声を聞き続けるつもりだと安住住職は覚悟を決めている。

「継続していくことの大変さはわかっています。でも、大変だと思うよりも、面白そう!というマインドで向き合っていこうと思っています。僧侶が街づくりに関わるって、こういうポジションなのかもしれませんね」

西林寺には350年の歴史がある。しかしその歴史にあぐらをかいていては、生きてはいけない。かつてアジアを旅して、思い、悩み、苦しんだ一人の僧侶が、今、しっかりとその足を大地に付けて、地域と共に歩み出そうとしている。

関連記事

    よく読まれている記事

    寺社関連プレスリリース

もっと読む

    クラウドファウンディング

もっと読む

    ミュージアム・イベント

もっと読む

    寺社Nowの書棚-Books-

もっと読む