仏像イラストレーター・田中ひろみ「御朱印を描くおへんろ旅〜四国別格二十霊場篇〜」

①四国遍路の原型:別格第九番札所「文殊院(もんじゅいん)」
▪寺名:大法山徳盛寺
▪本尊:地蔵菩薩・文殊菩薩
▪開山:弘法大師
▪宗派:真言宗醍醐派
▪住所:愛媛県松山市恵原町308
▪電話:089-963-1960、089-963-0288
▪霊場HP:https://www.bekkaku.com/?page_id=31

写真左は、別格第九番札所「文殊院」の副住職・荒井秀幸さんと

まずご紹介するのは、四国遍路を始めたと伝わる衛門三郎(えもんさぶろう)ゆかりの札所「文殊院」です。

平安時代(天長年間、824-834年)のお話です。伊予国(現在の愛媛県)を治めていた河野家の一族に、強欲で無慈悲なことで知られていた衛門三郎という豪農がいました。

ある日のこと、門前にみすぼらしい身なりのお坊さんが現れ、手に持っていた鉢(はち)を差し出し、布施(米や食糧など)を乞います。いわゆる托鉢(たくはつ)ですね。ところが衛門三郎は、家人に命じて追い返してしまいます(ご想像のとおり、この時のお坊さんこそが、お大師さまです)。

そのお坊さんは翌日も、そしてまたその翌日も姿を見せますが、衛門三郎はまったく相手にしません。そしてついには8日目に、そのお坊さんが捧げ持っていた鉢を、地面に叩きつけてしまったのです。鉢は、バラバラに8つに割れてしまいました。

さあ、それからです。衛門三郎には、8人の子供がいたのですが、あろうことか毎年一人ずつ、全員が次々と亡くなってしまいます。悲しみに打ちひしがれる衛門三郎…。いかに強欲で無慈悲であろうと、人の親であることには変わりありません。

ある日、その衛門三郎の枕元に一人のお坊さんが現れます。衛門三郎は、はたと気付きます。あのときのみすぼらしいお坊さんが、ほかでもないお大師さまであったことを。そしてすべての災厄は、強欲で無慈悲な自分自身が招いた事態であったことを。

これを境に衛門三郎は、己のこれまでの行動を悔い改めます。そしてついには、すべての財産を人に譲り、お大師さまに直接会って懺悔するため、その足跡を追って巡礼を始めることにしたのです。四国遍路はここから始まったとされる「衛門三郎伝説」です。別格第九番札所の文殊院は、衛門三郎邸の跡地に創建されたと伝わっています。

この文殊院から歩いて5分くらいの境内外地に、衛門三郎の子供の8つの墓とされる場所があると聞いたので、足を延ばしてみました。8つはバラバラと点在していて、多くは田んぼの中にぽっこりと盛り上がった、古墳のようなそのてっぺんに小さな祠(ほこら)があり、石地蔵が祀られています(松山市指定記念物(史跡)八ツ塚群衆古墳)。

衛門三郎伝説と古墳の関係については、学術的にはまだこれからの調査研究課題のようですが、1200年以上前の物語が地域に伝わっていることは確かな事実です。物語の現場に身を置くことで、それを後世につないでいくクリエイターとしての使命と責任を感じないではいられません。少なからず自分の中にある強欲さや無慈悲さを反省しつつ…。

衛門三郎の8人の子供たちの墓と伝わる現地。中には民家がすぐ近くまで迫っているものも(写真右下)

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監修:全国寺社観光協会

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