本リストは、国立情報学研究所 CiNii Researchを活用し、検索ワード「国葬」にて抽出した文献の一覧です(2022年7月16日正午現在)
戦後日本の公葬 : 国葬の変容を中心として
前田 修輔 史学雑誌 / 史学会 編 130 (7), 1169-1190, 2021-07
黒門と国葬道路 (旧島津氏玉里邸庭園の調査報告)
末永 颯汰 地域総合研究 = Regional studies 48 (2), 20-23, 2021-03
岩倉具視の国葬と神葬祭
半田 竜介 國學院大學研究開発推進センター研究紀要 / 國學院大學研究開発推進センター 編 (13) 77-96, 2019-03
法制下の国葬 : 昭和前期における展開を軸に
前田 修輔 日本歴史 / 日本歴史学会 編 (842) 53-69, 2018-07
書評 宮間純一著『国葬の成立 : 明治国家と「功臣」の死』
荒船 俊太郎 日本史研究 = Journal of Japanese history / 日本史研究会 編 (653) 95-102, 2017-01
岩倉具視の国葬と神葬祭式 (第68回学術大会紀要号)
半田 竜介 神道宗教 = Journal of Shintō studies (240) 87-89, 2015-10
大正期における国葬の変容 : 民衆化を視座として
前田 修輔 風俗史学 = Historical review on manners and customs : 日本風俗史学会誌 / 日本風俗史学会 編 (61) 29-58, 2015-09
国葬の成立 : 明治国家と「功臣」の死
宮間, 純一 勉誠出版 2015
公葬のメディア表象の形成と共同体におけるその受容と継承 : 伊藤博文の国葬における新聞・雑誌・絵葉書・写真帖を中心に
研谷, 紀夫, Norio, Togiya 共立女子大学文芸学部紀要 = Studies in arts and letters 58 37-57, 2012-01
昭和天皇(74)国葬
福田 和也 文芸春秋 89 (9), 438-449, 2011-08
大久保利通の葬儀に関する基礎的考察–国葬成立の前史として
宮間 純一 風俗史学 = Historical review on manners and customs : 日本風俗史学会誌 / 日本風俗史学会 編 (41) 2-21, 2010-12
博覧都市東京(第1回)「実況メディアとしての絵葉書ー伊藤博文の国葬をめぐって-」
研谷 紀夫 ヱハガキ 34号 2-4, 2010
戦争のない世界平和の確立に生涯を捧げオランダ国葬で送られた安達峰一郎の生涯 : 世界は彼を「世界の良心」「日本の平和の精神」と呼んだ
安達 尚宏 2008
大隈重信陞爵・国葬問題をめぐる政治過程
荒船 俊太郎 早稲田大学史記要 = Transactions of Waseda University Archives 38 31-64, 2007-03
国葬を遠く遠くに土ほろぶ–鎮魂と反戦の川柳 (歌で詠む戦争と平和)
高鶴 礼子 女性のひろば (318) 68-73, 2005-08
小説 国葬〔含 台湾「外省人」文学史の視点から〕
白 先勇 植民地文化研究 : 資料と分析 (4) 66-75,92, 2005
レーガン元大統領の国葬
青木 冨貴子 文芸春秋 82 (14), 86-88, 2004-10
コクピットから見た戰後民間航空史(32)ガンジー首相国葬の弔問飛行
諸星 廣夫 Air world = エアワールド 26 (3), 98-101, 2002-03
緊急総力取材 「小渕国葬」計画まで政争の具!「GW明け解散」の大暗闘
週刊ポスト / 小学館 [編] 32 (16), 30-39, 2000-04-21
明成皇后國葬都監儀軌
ソウル大學校奎章閣 ソウル大學校奎章閣 2000
自自公内閣内幕スクープ 小渕独裁政権が密かに進める「竹下登元首相国葬計画」をスッパ抜く!
週刊ポスト / 小学館 [編] 31 (42), 222-225, 1999-10-22
明治天皇(第37章)岩倉具視の国葬
ドナルド キーン, 角地 幸男 新潮45 17 (2), 250-265, 1998-02
建言 マザー・テレサの国葬とアジアの貧困
財経詳報 (2136) 10-, 1997-09-23
古代ギリシアの戦没者国葬と私人墓 (葬送の社会史<特集>)
馬場,恵二 駿台史學 93 28-100, 1995-01-30
重要法令関係慣用語の解説–秘密特許(協定出願),専守防衛,国葬
行政法制研究会 判例時報 (1356) p28-31, 1990-10-11>
アテナイにおける国葬制度の成立について
向山 宏 広島大学文学部紀要 / 広島大学文学部 編 47 p97-114, 1988-0
東京歴史紀行 昭和史の現場を歩く-11-東郷元帥の国葬に蘇った多磨霊園
井出 孫六 エコノミスト 64 (13), p84-89, 1986-03-25
玉砕と国葬 : 1943年5月の思想
桜本 富雄 開窓社 1984
大韓帝國高宗皇帝國葬畫帖
信和出版社 1980
韓国主要新聞論調–朴大統領の急逝から国葬まで (七九年十月二十六日韓国政変<記録特集>)
自由 / 「自由」編集委員会 編 22 (1), p137-145, 1980-01
トウキュディデスの大疫と国葬
小西 晴雄 西洋古典学研究 20 (0), 13-19, 197
古代アテネ人の戦没者国葬儀–靖国神社法案と関連して
松浦 健太郎> 政策月報 (175) 169-175, 1970-08
哀思録
孫中山先生葬事籌備處, 孫中山先生國葬紀念委員會 文海出版社 1970
反回想録-6-ジャン・ムーランの国葬
マルロー A, 竹本 忠雄 芸術新潮 20 (6), 50-54, 1969-06
録音吉田茂
芸術出版 1968
国葬–法と政治
有倉 遼吉> 法学セミナー (141) 39-42, 1967-12
故吉田茂国葬儀
政策月報 (143) 104-107, 1967-12
泰平な政局と国葬その他
大石 兵六 貿易クレームと仲裁 14 (12), 34-36, 1967-12
村の國葬
妻木新平 興亞文化協會 1942
東郷元帥
日本放送協会 日本放送協会大阪中央放送局 1934
われ等の東郷さん : 國葬當時の放送より : コドモの時間
日本放送協會大阪中央放送局,武富邦茂,小笠原長生 日本放送協會大阪中央放送局 1934
徳壽宮國葬畫帖
奥田直毅 京城日報社 1919
伊藤公國葬余韻
末松謙澄 末松謙澄 1910
故伊藤公爵國葬寫眞帖
小川一眞 小川寫眞製版所 1909
平沼騏一郎関係文書
ニチマイ(マイクロフィルム)
李太王国葬儀写真帖
宮内庁書陵部 1919
国葬とは
◉日本大百科全書(ニッポニカ)
国が国家の儀式として、国費で行う葬儀。第二次世界大戦前には、1926年(大正15)従来の先例・慣例を法制化して国葬令が制定され、国葬は、法定上行われるものと、特旨によるものの2種とされた。前者は、天皇、太皇太后、皇太后、皇后の大喪儀と、皇太子、同妃、皇太孫、同妃、摂政 (せっしょう) たる親王、内親王、王、女王の喪儀(7歳未満の皇太子、皇太孫の死去は除く)である。特旨によるものは、国家に大きな功労のあった者と、死に際してとくに勅旨のあった者の葬儀で、皇族も含まれていた。国葬当日は廃朝で、官庁と学校は休み、歌舞音曲は停止または遠慮し、全国民は喪に服し、国葬を厳粛に送ることとされた。国葬は神道 (しんとう) 式で行われ、葬儀の事務は国の機関が担当した。第二次世界大戦前、特旨により国葬が行われた者は、1878年(明治11)の大久保利通 (としみち) の準国葬以後、次の皇族8名、一般人12名である。岩倉具視 (ともみ) (1883)、島津久光 (ひさみつ) (1887)、三条実美 (さねとみ) (1891)、有栖川宮熾仁親王 (ありすがわのみやたるひとしんのう) (1895)、北白川宮能久 (よしひさ) 親王(1895)、毛利元徳(1896)、島津忠義(1897)、小松宮彰仁 (あきひと) 親王(1903)、伊藤博文 (ひろぶみ) (1909)、有栖川宮威仁 (たけひと) 親王(1913)、大山巌 (いわお) (1916)、徳寿宮李太王煕 (とくじゅのみやりたいおうき) (1919)、山県有朋 (やまがたありとも) (1922)、伏見宮貞愛 (ふしみのみやさだなる) 親王(1923)、松方正義 (まさよし) (1924)、昌徳宮李王垠 (しょうとくのみやりおうせき) (1926)、東郷平八郎(1934)、西園寺公望 (さいおんじきんもち) (1940)、山本五十六 (いそろく) (1943)、閑院宮載仁 (かんいんのみやことひと) 親王(1945)。戦後は、「皇室典範」で天皇の大喪儀を定めている以外は、国葬の明文規定はない。1967年(昭和42)10月20日、元首相吉田茂の死去に際して、臨時閣議の決定によって、10月31日、日本武道館で戦後最初の国葬が行われた。また89年(平成1)2月24日、昭和天皇の大喪の礼が新宿御苑で行われた。[村上重良]
◉世界大百科事典
国の大典として行われる葬儀。国葬の事務は国の機関で行われ,その経費は国庫から支払われる。日本では,それまでは先例にならってなされてきたが,1926年の〈国葬令〉によってはじめて規定された(1947年失効)。国葬令では天皇・太皇太后・皇太后・皇后の〈大喪儀〉や皇太子・皇太子妃・皇太孫・皇太孫妃および摂政たる皇族の〈喪儀〉はすべて国葬であり(ただし,皇太子・皇太孫が7歳未満の場合を除く),また,国家に功労のあった者(皇族も含む)に対しては特旨をもって国葬とされた。大喪儀,喪儀の期日・場所は宮内大臣と内閣総理大臣の連署をもって公告され,特旨の場合には内閣総理大臣が公告した。また,天皇崩御のときには当日および翌日から5日間,それ以外のとき(特旨の場合を除く)には当日および翌日から3日間,ならびに大喪儀,喪儀当日は廃朝とされた。現行憲法ではとくに規定されていないが,皇室典範25条〈大喪の礼〉はこれにあたる。なお,1967年10月31日吉田茂に対し第2次大戦後初の国葬がなされたが,これは閣議決定によるものである。また,〈国民葬〉の例として,大隈重信(1922)と佐藤栄作(1975)がある。大隈の場合には純然たる民間葬であったが,佐藤の場合には費用のほとんどが政府によって支払われた。なお,特旨によって国葬が行われた者に,岩倉具視(1883),島津久光(1887),三条実美(1891),有栖川宮熾仁親王(1895),北白川宮能久親王(1895),毛利元徳(1896),島津忠義(1897),小松宮彰仁親王(1903),伊藤博文(1909),有栖川宮威仁親王(1913),大山巌(1916),徳寿宮李太王煕(1919),山県有朋(1922),伏見宮貞愛親王(1923),松方正義(1924),昌徳王李王垠(1926),東郷平八郎(1934),西園寺公望(1940),山本五十六(1943),閑院宮載仁親王(1945)の20名がいる。[田中 浩]
◉日本国語大辞典
国家に功労のあった人の死去に際し、国の大典として国費で行なう葬儀。
*勅令第一四号‐明治二四年〔1891〕二月一九日(法令全書)「内大臣正一位大勲位公爵三条実美薨去に付特に国葬を行ふ」
*夢声戦争日記〈徳川夢声〉昭和一八年〔1943〕六月五日「山本元帥の国葬で、今日は芝居お休み」
*啾々吟〔1953〕〈松本清張〉八「七月廿日に前右大臣岩倉公薨去のことがあって、国葬が行われた」
◉国史大辞典
国の儀式として国費で行う葬儀。国葬には二種があり、(一)天皇およびその一家の葬儀で、国制上当然行うもの、(二)国家に偉勲ある者に対して特旨により行うものとがあった。明治以降始まったもので、明治時代は特別の法令はなく、そのつど勅令によって「誰々薨去ニ付特ニ国葬ヲ行フ」と発令され、官報で告示された。大正十五年(一九二六)十月二十一日、勅令第三二四号で、「国葬令」が制定されてその制が決まった。天皇・太皇太后・皇太后・皇后は大喪儀(第一条)、皇太子・同妃・皇太孫・同妃および摂政たる皇族は国葬(皇太子・皇太孫七歳未満の死去を除く)(第二条)、特旨によるものは勅書を以てし内閣総理大臣がこれを公示する(第三条)。従前の勅令が内閣告示に変わった。皇族に非ざる者の国葬の場合は喪儀の当日廃朝して国民が喪に服す(第四条)。喪儀の式は内閣総理大臣が勅裁を経てこれを定める(第五条)。葬儀は神式で経費は国庫支出である。特旨国葬の最初は明治十六年(一八八三)七月死去した岩倉具視で、廃朝三日、特旨で葬儀御用掛が設けられ葬儀一切の事務を扱った。その後は島津久光(明治二十年)、三条実美(同二十四年)、有栖川宮熾仁親王(同二十八年)、北白川宮能久親王(同)、毛利元徳(同二十九年)、島津忠義(同三十年)、小松宮彰仁親王(同三十六年)、伊藤博文(同四十二年)、有栖川宮威仁親王(大正二年)、大山巌(同五年)、徳寿宮李太王煕(同八年)、山県有朋(同十一年)、伏見宮貞愛親王(同十二年)、松方正義(同十三年)、昌徳王李(同十五年)、東郷平八郎(昭和九年(一九三四))、西園寺公望(同十五年)、山本五十六(同十八年)、閑院宮載仁親王(同二十年)が国葬とされた。第二次世界大戦後は特別な規定はなく、吉田茂の国葬(同四十二年)は閣議決定で行われた。 [参考文献]酒巻芳男『皇室制度講話』(大久保 利謙)
◉法律用語辞典 第5版
国費をもって催行される国家的儀式としての葬儀。かつて国葬令(大一五勅三二四)があったが、現在は失効しているものと解され、これに代わる法令は、制定されていない。現行法上、皇室典範二五条の大喪の礼は、国葬に当たると解される。なお、昭和四二年に、閣議決定により国費を支弁して「故吉田茂国葬儀」が無宗教式で挙行された例がある。
◉プログレッシブ和英中辞典
a state funeral
国葬にする give [《文》 accord] a person a state funeral
◉ビジネス技術実用英語大辞典V6
attend the state funeral of [for] former South African President Nelson Mandela
ネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の国葬に出席する