噂のモダン温泉宿坊「禅の湯」スタッフ&ゲストが笑顔の秘密=夢を〝育(いく)する〟って何!?

宿の魅力の源は、経営者の考え方にあった

さて、ここからは経営目線で禅の湯の秘密へ分け入っていく。

細部へのさまざまなこだわりが感じられる禅の湯だが、これらは、経営者である寺の娘、稲本さんが10年かけて創り上げたもの。実は温泉を掘削する前、先代は宿を閉じることを検討していた。温泉が湧出したのを機に事業の再構築を目指して「禅の湯」として再スタートを切ったものの、すぐに限界が見えてきた。

地元の信用金庫でバリバリに営業を担当していた稲本雅子さん。地べたを這いつくばるように数多くの会社の経営を見てきた経験から、宿を引き継いですぐ、事業の再構築に着手した

リニューアル当時は「禅を感じる宿」をコンセプトに、食事も精進料理を提供していた。客室は古く、魅力といえば温泉しかない。しかし近隣の宿も天然温泉をウリにしているため、町の奥まった場所にある禅の湯が勝てるかとなると疑問だ。

「お寺の宿らしく禅を感じていただくことはできます。しかし伊豆という地域を感じることはできません。だから、これからも宿を続けていくには“ここにしかない価値”を持つ必要があると確信しました」

そこで、新たなコンセプトづくりと軌道修正に着手した。

祖父母は寺院存続のために収入の安定を考えてユースホステルを開業した。祖父は地元の学校の校長職にもあったため、宿はおもに祖母が切り盛りした。そのユースホステルを継承した稲本さんの両親は、子供たちを育てて学校を出すために懸命に働いた。

そして稲本さんの代だ。「私は何をする。何を育てる?」 教育者でもあった父の後ろ姿を見ながら育った稲本さんは、そのことをひたすら考え続けた。

「気づいたのは、宿はお客さんや地域の人に支えられて続いてきたということ。それならば私は、地域や人に恩返しをしていこうと考えました。しかし、“育てる”だとなんだか恩着せがましい。そこで、地域も人も宿も、みんなで成長していけるようにとの気持ちを込めて、“育する”というコンセプトを立ち上げたのです」

“育する”ためにまず取りかかったのが、料理の食材を地産地消にすること。伊豆の食材をたくさん使えば、地域の生産者は安心して農業を続けられ、宿泊客は料理を通して伊豆の旬と地域の味を感じられる。つまり「地域を育する」ことが、宿の魅力にもなる。

そして、地域と共に生きていくためにもっとも大切なこと、人を“育する”ことにも取りかかった。かつて学校の先生になる夢を持っていたこともあり、宿の経営を通じての人材教育を考えた。

「伊豆に移住して何かがしたい、と漠然と思い描いている人ではなく、具体的な夢を持って、宿で働くことがそのためのスキルアップにつながる人を雇っています」

年齢は関係ない。夢と、そのための行動計画。特にその点について面接で聞き出し、しっかり話し合った上で宿のスタッフに迎え入れている。

現在禅の湯で働く人のほとんどが、他地域からの移住者で構成されている。働く人が夢を持って、その実現のために宿の仕事を通して自分を育てている。だから禅の湯のスタッフは皆生き生きしているし、笑顔が絶えない。彼らのおもてなしの笑顔は作られたものではなかった。夢を持ってはつらつと働くことで内面から湧き溢れ出てくるナチュラルな笑顔だった。地域のためにもなる人材を育てることが、見事に宿のおもてなしにつながっている。

伊豆でやりたい夢を持ち、禅の湯で働いたのちに独立するスタッフはすでに10数名いる。移住してゲストハウスを始めたいと夢を語り仲間に加わったスタッフは、数年間宿の運営を担当し、めでたく卒業して近くにライダーハウスを開業した。

地域おこし協力隊へ志願したことがきっかけで河津町に移住し、禅の湯での経験を経てライダーハウスを開業した池田亮太さん

池田さんのライダーハウスは、檀家さんから慈眼院が管理を任された空き家を借りて運営している

「河津町も日本のほかの地域と同じように、過疎化が進んでいます。檀家さんの中には家を手放す人も出てきていて、お寺に、家をなんとかしてほしいと相談に来ます。その家の中から、スタッフの希望に合うものをマッチングしています」

地域にあってお寺の信用は厚い。お寺の信用を背景に、移住者の住まいや事業所となる空き家を借りることもハードルが低くなる。お寺が築いてきたネットワークが活かされる。禅の湯がハブとなることで、人が育ち、地域が育ち、そしてまわりまわって客が喜ぶ。温泉や食事はもちろんだが、何よりも「育する」ことこそが、宿の魅力を生み出している。

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監修:全国寺社観光協会

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