【オンライン僧侶クリニック開設記念第2弾】LGBT(性同一性障害)の苦悩に寄り添う尼僧・柴谷宗叔師

今年(2021年)4月、インターネットで全国のお坊さんに人生相談できる新サービス「オンライン僧侶クリニック」が開設され、話題となっている。現在、この「オンライン僧侶クリニック」の開設を記念して、ベストセラー作家で高野山真言宗の僧侶でもある家田荘子さん(高野山本山布教師・大僧都)出演の動画『そうだ、お坊さんに相談しよう』対談シリーズが期間限定で順次公開されている。

寺社Nowでは、気になるその対談の模様を記事化してシリーズでご紹介!その第2弾となる今回は、性的マイノリティの“駆け込み寺”ともなっている性善寺(大阪府守口市)の尼僧、柴谷宗叔(しばたに・そうしゅく)住職との対談だ。柴谷氏自身が性的マイノリティとして苦しんできた経験や、同じような悩みを抱えている方々への想いを、ご本人の言葉でありのままにお伝えしよう。

オンライン僧侶クリニック

■『そうだ!お坊さんに相談しよう』第②弾

LGBT僧侶としても知られている柴谷宗叔さんは、子どものころから性同一性障害に悩みながら、大学卒業後は新聞社の記者に。阪神・淡路大震災を機に高野山に入り、出家した後、性再適合手術を受ける。自身の経験をもとに、当事者として性的マイノリティの方々をサポートしている。

性善寺・柴谷宗叔 住職柴谷宗叔(しばたに・そうしゅく)
性善寺(しょうぜんじ/大徳山浄峰寺)代表役員住職。高野山真言宗神風山大鳥寺住職。
1954年大阪市生。早稲田大卒。高野山大学大学院博士課程修了。博士(密教学)。高野山大学密教文化研究所研究員。巡礼遍路研究会会長。園田学園女子大学公開講座講師。元読売新聞記者。四国八十八ヶ所霊場会公認大先達。西国三十三所札所会公認特任大先達。四国ヘンロ小屋プロジェクトを支援する会副会長。高野山真言宗権少僧正。高野山本山布教師心得。高野山金剛峯寺境内案内人。レインボーフェスタイン和歌山2018実行委員。
著書に『公認先達が綴った遍路と巡礼の実践学』(高野山出版社、2007)、『江戸初期の四国遍路 澄禅『四国辺路日記』の道再現』(法蔵館、2014)、『四国遍路こころの旅路』(慶友社、2017)、『空海名言法話全集 空海散歩』(筑摩書房、2017、共著)第1巻~ など。
2010年、岡山大学病院で性再適合手術、戸籍・僧籍の性別も変更。

左)柴谷宗叔師、右)家田荘子師

左)柴谷宗叔師、右)家田荘子師

◆阪神・淡路大震災をきっかけに僧侶の道へ

―柴谷先生はもともと新聞記者をされていたそうですね。僧侶の道に向かうきっかけはなんだったのでしょうか?

きっかけは26年前、当時住んでいた神戸で阪神・淡路大震災を経験したことです。家が全壊したものの、なんとか命だけは助かりました。

―それは新聞記者時代ですか?

はい。神戸に家を持って、大阪の新聞社に勤めていました。そのときは「たまたま命が助かったのだな」と思ったのですが、がれきを整理していると、四国の納経帳(御朱印帳)が出てきました。それが身代わりになって、私を助けてくれたのだと思ったんです。

―納経帳があった場所にいらっしゃったら、ご自分の命は危なかった?

あの崩れようを見ると、おそらく死んでいたかもしれません。そこで、お礼参りに行かなければいけないと考えました。

そしてお礼参りの道中で、ある札所のご住職から「先達になってみないか」とお誘いをいただきました。先達というのは、四国のお遍路さんのガイド役のこと。「お遍路を4回巡れば先達になれる」と。

お遍路を続けるうちに、今度は先達仲間の方から高野山大学に誘われました。大学院に社会人コースができるので、入学してみないかと。その結果、新聞記者の仕事を続けながら高野山で勉強をすることになりました

家田荘子

家田荘子師

◆過去の自分と同じ悩みを抱えている方々に寄り添いたい

―柴谷先生は性的マイノリティでいらっしゃいます。新聞記者時代はどうされていたのでしょうか?

当時は性的マイノリティであることを隠していました。男として嘘の会社勤めをしていたんですが、苦しくて苦しくて仕方なかったですね。

しかし、だんだんと世の中が性同一性障害に寛容になっていって。国内で性別適合手術が受けられるようになり、戸籍も変えられるようになりました。

「ここまで来たら」ということで、病院に通って手術を受け、戸籍も変えました。ちょうどその時期が、僧侶の修行をしていたときと重なっているんです。

―子どもの時にも悩んでいらっしゃったのでしょうか?

小学校低学年、物心がつくころから自分が性的マイノリティであることはわかっていました。けれど、“性同一性障害”という言葉すら一般的ではない時代です。親からは「男の子は男の子らしくしなさい」と言われ、今で言うDVを受けていました。父親から、殴る蹴るをされていまして。

それが理由で親元から離れなければならないと思い、大学時代に東京で一人暮らしをはじめました。そこで、やっと開放された気がしたんですね。大学にはマニッシュというか、中性的な格好をして、髪を伸ばして通っていました。

―最終的に僧侶になろうと思った理由を教えてください

お大師さん(弘法大師空海)が呼んでいる気がしたんですね。結局会社を辞めて、僧侶の道に進むと決めました。その当時はまだ体も男性でした。

―性別を変えるとき、出家したお寺の方々の反応はどのようなものでしたか?

性別変更することを伝えたときには、それはもうびっくりされました。

結局、僧侶の社会は男性社会ですよね。尼僧だと、どうしても上がれない場所があります。そういった意味で「もったいない」と言われましたね。

―それに対して柴谷先生はなんと答えられたのですか?

「この体を脱ぎ捨てないと私は本来の自分に戻れない」と答えました。

性的マイノリティであることで、自分がずっと苦しんできました。だから、同じ悩みを持った方々が気軽に来て、悩みを相談できる場所をつくりたかったんです。

それから、配偶者も子どももいなくて、老い先どうなるかわからない。そういう不安を抱えておられる方のご相談に乗りたかった。今は、そういったお一人様の終活や永代供養ができる、安心して旅立っていただけるようなお寺を目指しています。

柴谷宗叔

柴谷宗叔師

―これまでに受けたご相談の中で、言える範囲の内容があればお教えください

戸籍上は女性の方からの相談で、「男性になりたい」というものがありました。しかし、事情を詳しく聞いていくと、その方はどうやら性同一性障害というわけではないようなのです。単に女性差別から逃れるために、男になりたいと思いこんでいたんですね。

―そういったお悩みに寄り添えるのは、ご自分も似たようなご経験をされた柴谷先生ならではだと思います

他にも、さまざまなケースのお悩みをご相談いただきますね。

例えば最近では、男性と女性の中間として「Xジェンダー」という概念が出てきています。
手術をして他の性にはなりたくない、そのままの自分でいたい……という考え方です。

そういった考えをお持ちの方々が、「気が休まる」ということで、毎月のようにうちのお寺に来てくださることも多いです。お寺の行事に参加すると同じような悩みを抱えた仲間たちがいて、そのときだけは気が楽になる、と。

お遍路さんの白装束も、基本的には男物・女物の区別がありません。

―平等ですよね。巡礼の方々は、名前でなく「お遍路さん」と四国では呼ばれています。

「お遍路さん」という、ひとつのコスプレなんです。仏様の前で拝んでいるときはすべての方が単なるお遍路さんで、性別を意識する必要がない。そこで非常に気が楽になるということで、私と同じような理由でお遍路にハマっていった人もいます。

―オンライン僧侶クリニックでは、遠方にお住まいの方々でも柴谷先生とお話できますよね。

オンラインであれば、日本全国どころか世界中のどこからでもご相談していただけるようになりますね。

―今日はどうもありがとうございました

ありがとうございました。

インタビュアー:家田荘子(作家・僧侶)
これまで光が当たってこなかった世界や人々にスポットを当て、取材することによって社会問題を提起する異色の作家。平成3年(1991)『私を抱いてそしてキスして~エイズ患者と過ごした一年の壮絶記録~』で第22回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。コミック原作や恋愛エッセイ、小説にも定評があり、著作は130冊を超える。
著書に『極道の妻たち®』『代議士の妻たち』『バブルと寝た女たち』『私を抱いてそしてキスして』などがあり、30作品以上が映像化されている。近著には『熟年婚活』などがある。
また、高野山で修行を積み、平成19年(2007)、高野山大学にて伝法灌頂を受けて僧侶に。高野山の奥の院、または総本山金剛峯寺にて駐在(不定期)し、法話を行っている。

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監修:全国寺社観光協会

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