社会は「死について語る場」を求めている
山内さんが開催したような新たなデスカフェは今後も出てくると思われるが、この現象には、何か理由があるのだろうか。『デスカフェ・ガイド』執筆代表の吉川氏は、このような広まりは「新たな社会資源形成の過程」ではないかと言う。
「日本では死が生活から離れていると言われてきましたが、一方で、多死社会の広がりとともに、死について語る場が求められていると感じています。近年同じように広まっているものに認知症カフェや子ども食堂がありますが、これらも社会の求めに応じて各地に広まり、定着していったものです。また、デスカフェは“死をカジュアルに話す”ことが目的です。結論を出すことではなく対話することが重要な場ですから、そのような場を求める人にとっても、死というワンテーマがあると、参加しやすいのではないでしょうか」
また、山内さんに場を提供した光明寺のように、寺院でデスカフェが開催される例は増えている。それとともに、僧侶が関わることも増えてほしいと吉川氏は期待感を込めて言う。
「寺院は全国津々浦々にあり、地域の人が集まり、何らかの交流が生まれてきた場です。その歴史から、そこはかとない安心感が寺院にはあると私は感じているのですが、この安心感こそ、寺院が持つ力ではないでしょうか。デスカフェは一度参加して終わりではありません。参加したことで新たなつながりが生まれます。それは寺院が担ってきた役割と同じです。ですから寺院がデスカフェの場となることは、必然なのです。加えて、生死を扱うという僧侶の職業の特異性を考えても、寺院でデスカフェが開催されることは自然な流れだと言えます。寺院が持つ可能性はまだまだ生かし切れていません。だからこそデスカフェを通して寺院が人と人を結ぶ場であることを再確認し、新たな価値につなげてほしいですね」