いかなる儀軌や根拠を反映しているのか詳らかではありませんが、千足観音について強いて関連資料を求めると、鎌倉時代の天台系図像集「阿沙縛抄(あさばしょう)」と「白宝抄(びゃくほうしょう)」に、下記の記載がみられます。
・承澄(1205~82)撰『阿裟縛抄』巻88(大正新修大蔵経・図像部巻9)
「千頭千手千足観音有之、三井秘蔵本尊也、宇治御経蔵有之云々」
「千頭千眼千手千足儀軌陀羅尼見云々、播抳手乞蒭眼乞灑二合也眼室囉灑也 頭播娜也足爾賀縛也舌歩惹也臂義出千手根本真言釈唐院御経蔵云々」
・澄円(1218~78以後)撰『白宝抄』千手観音法雑集上(同・図像部巻10)
「智證大師御経蔵本、千頭五千眼千手千足観音像在之、亦千手羊頭像、是法全大阿闍梨分付大師給像也、末代法孫就件像致愚安、千頭者表過去千仏、千手者則現在千仏、千足者即未来千仏也、以三世諸仏同体慈悲功徳法門者名此菩薩也」
これらによると、千足観音は天台宗の円珍(814~91、延暦寺第5代座主・智証大師)が入唐の際、中国において法全阿闍梨(はっせんあじゃり)より授けられ、大津三井寺(園城寺)の経蔵に秘蔵されていたといい、千頭は過去千仏、千眼は現在千仏、千足は未来千仏を表わす、「過去・現在・未来」の三世の諸仏を集約した菩薩であると説かれています。
しかし、いずれの史料にもその図像は掲載されていないため、本来の千足観音の形相は明らかではありませんが、千足観音が三井寺の天台系密教に関係するものであることは確認され、本像造立の背景には台密(たいみつ)の影響があったことが窺われます。