情報求ム!これは事件です。龍谷ミュージアム「仏像ひな型の世界」展に秘められた真のねらい

会場風景。写真右は「金剛力士立像」のひな型。阿・吽像いずれも頭部と両腕を取り外すことができ、さらに体部は4つの材で構成されている。像高20cmにも満たない小さな仏像ひな型は、実際に大きな仏像を制作するための緻密で精巧な立体模型となる [撮影:寺社Now]

大変なものを見つけてしまった。
これは、歴史的な発見であり、事件とも言える。

龍谷大学 龍谷ミュージアム(京都)は、今から3年前、近世江戸期から平成まで15代にわたって系譜を連ねた京都仏師・畑治良右衛門家より、門外不出の〝仏像のひな型〟420件を寄託された。

仏像ひな型とは、仏像制作の構想段階でつくられるミニチュアサイズの3次元の縮小模型のようなもの。仏師は、大きな仏像をいきなり彫り始めるのではなく、まず全体の構造や必要な木材の量を計算するために、手のひらサイズの緻密で精巧なひな型を作る。

それは、効率的に仏像を制作するための設計図であり、注文主や施主、発願者とイメージを共有するサンプルとしても機能した。また、仏像の構造や制作過程を示す記録にもなり、仏師やその工房にとっては秘伝中の秘伝、代々語り継いでいく貴重な知的財産ともなる。そこには、仏師の知恵とノウハウのすべてが凝縮している。

したがってこれまで仏像のひな型は、秘密裏に伝えられてきた。表に出るものではなかった。ところが時代の変化と共に、仏師が仏師として生きていくことが次第に困難となる。そしてついに、後継者を見つけられずに2014年に亡くなった15代畑治良右衛門に伝わっていた貴重なコレクションが、縁あってまるごと龍谷ミュージアムに託された。そのこと自体が仏像の世界にあって、そして美術史的にひとつの事件とも言える。

コレクションには比叡山関係のひな型も数多く伝わっていた。比叡山は、織田信長の比叡山焼き討ちによって、延暦寺をはじめ全山が甚大なる被害を被った。以降、長い歳月をかけて堂宇の再興や修復が行われ、仏像のひな型も数多く残された。その中に、山麓の滋賀県大津市坂本に位置する延暦寺一山の鎮守社である、日吉大社の神々の〝神像〟のひな型もあった(写真右)。写真左は、牛の顔をした「山王神(牛御子)坐像」 江戸時代 寛文9年(1669)。秘せられている神々の姿を、ひな型を通して知ることができる

写真左は、京都仏師の系譜に連なる畑家最後となってしまった15代畑治良右衛門による制作途上の遺作「菩薩形坐像」。ひな型ではないが、仏像制作の過程がわかる。写真右は15代畑治良右衛門が実際に使っていた道具類

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監修:全国寺社観光協会

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