【寺社Now29号(令和2年1月発行)】より ※情報は掲載時のものです
御師宿坊とは・・・日本一の霊峰富士山へ信仰のために登山する人々を富士道者(どうしゃ)といい、その世話をし、自宅を宿坊として提供していたのが富士御師だった。御師は御祈祷師の略称で、世話だけでなく、富士山信仰を広める役も担っていた。江戸時代には富士参詣が一大ブームとなり、富士吉田市の上吉田地区は、最盛期に86軒もの御師宿坊が並んでいたという。
御師宿坊の運営を成り立たせていたのは富士山参詣の「講」の存在だったが、時代と共にそれが消え、立ちゆかなくなった御師宿坊は次々に姿を消していった。現存している御師宿坊は4軒、そのうちのひとつ、近年復活した「御師のいえ 大鴈丸(おおがんまる)」は、外国人登山者も訪れる注目の宿坊だ。
18代目の決意!御師宿坊の文化を富士山信仰と共に伝えたい
宿坊を復活させたのは、御師の大鴈丸家第18代目、大鴈丸一志(おおがんまる・ひとし)さんと奥さんの奈津子さん。一志さんは木工職人だが、かつて全国を旅して回ったことで自分のルーツを見直し、地元に戻ることを決意。やがて奈津子さんと結婚してから、平成28年(2016)にゲストハウスとして御師宿坊を復活させた。
「私が戻ってきた時にはすでに道者を受け入れておらず、建物も老朽化して父が取り壊しを考えていました。しかし御師文化が生きるこの建物を残したい。そんな折、富士吉田市から御師宿坊を対象とした助成金が出ることになり、宿泊の復活を決意しました」
御師宿坊は歴史的に、受け入れ人数の増加に合わせ増改築を繰り返してきた。「だから今回も、時代に合わせて少し姿を変えました」。かつての趣をできるだけ残すため、改築は最小限に留めた。板の間にミニギャラリーを設け、和室だったスペースを奈津子さんが週末に開けるカフェに、そのほかは浴室に手を入れた程度だ。
地域で文化を受け継ぐきっかけとしても活動
一方、嫁いで来て初めて、御師の文化にに触れたという奈津子さんは、「御師の文化も宿坊も、時代に合わせながら守っていく。いまはこれが夫婦共通の目標になっています」と話す。地元には、同じように御師の家を継いだ同世代がもう1軒ある。
一志さんの父親は御師で構成される組織「御師団」のメンバーだが、その活動も受け継ぐことになる。世代交代して御師文化の伝承を担う立場になる前に、しっかり学ばんでおかなければならない。そこで、先輩御師宿坊を加えた3軒で勉強会を立ち上げ、御師文化の理解を深めようと日々精進している。また、御師宿坊という存在そのものをもっと知ってもらうために、ワークショップを開催するなどして認知度を高め、ファン層を広げようと努力している。
文化伝承の重責を担うと心に決めた次世代ファミリーが、自分たちらしい形で御師宿坊を運営していく。
御師のいえ 大鴈丸(おおがんまる)hitsuki guest house& café
住所:山梨県富士吉田市上吉田7-12-16
TEL:080-1525-9515
※12月〜3月は冬期休業
Facebook
テラハク:御師のいえ 大鴈丸(おおがんまる)hitsuki guest house&café
https://terahaku.jp/temple/ooganmaru/